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上野由岐子「周りに流されちゃダメ」。
SB千賀滉大の胸に“エースの金言”。 

text by

田尻耕太郎

田尻耕太郎Kotaro Tajiri

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photograph byNIKKAN SPORTS

posted2016/09/15 07:00

上野由岐子「周りに流されちゃダメ」。SB千賀滉大の胸に“エースの金言”。<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

投球回を超える奪三振数は剛腕の証。千賀はシーズン通じて先発の座を守りきろうとしている。

1年目夏場までは体幹トレ、腹筋1000回をこなす日々。

 後から思えば「ギータさんは普通じゃないから」と笑い飛ばせたが、当時は冗談では済まされない出来事だった。

 ともかく一番下を自認していた男が、時が経ち、ホークスのエース候補へと成り上がった。

 なぜ、史上空前の大出世をなし得たのか。今思えば、プロ1年目の過ごし方、出会いが彼の運命を大きく動かしたのではないかと考える。

 身長183cm、体重75kg。それが育成ドラフト4位で入団した頃の体格だった。現在は186cm、86kg。ほぼ筋肉で10kg以上も増加したことになる。もちろん、継続しているトレーニングの成果だが、ルーキーの時に、徹底的に基礎体力をつけたことが大きかった。

 一つ目の出会いは当時三軍を担当していた倉野信次コーチ(現職は投手総合巡回コーチ)。指導のもと、1年目の夏場まではほとんどボールを触らせてもらえず、ひたすら体幹強化のメニューを繰り返した。特に力が注がれたのが腹筋だった。一日のノルマは1000回。「遠征先でナイターが終わってからでも、夜11時頃から同期の選手たちと並んでやったのはよく覚えています」と振り返る。

「オマエは一番下なんだ、わかってるのか」に耐えて。

 毎日の鬼トレ。そして「オマエは一番下なんだ、わかってるのか」と厳しい言葉も浴びせられた。それでも、何の不満も感じなかった。一番下――その自覚が常にあったからこそ、どんなきついことにも耐えられた。

「あの夏、久し振りにキャッチボールをした時の衝撃は忘れません。ただのキャッチボールなのに、自分で分かるほど球が速くなっていました。ブルペンで球速を測ったら最速151キロ。思わずニヤけちゃいました(笑)。もし、僕がドラフト上位で自信を持ってプロの世界に入っていたら、途中で挫けていたかも。一番下だと自分で分かっていたから、すべてを素直に受け入れて、やってこられたのだと思います」

 速く、強い球を投げられるようになった。それをさらに「イイ球」に進化させてくれたのが例の自主トレだった。それこそが二つ目以降の出会いに恵まれた場所である。

 そもそものきっかけを作ってくれたのはチームの先輩である近田怜王('12年でホークスを退団。昨年までJR西日本でプレーし引退)。「育成だから金がないだろう」と気を遣ってもらい、近田がビジネスホテルのツインの部屋を用意し、そこに居候までさせてもらった。

【次ページ】 「足の裏に“目”がついているような感覚で」

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