野球のぼせもんBACK NUMBER
上野由岐子「周りに流されちゃダメ」。
SB千賀滉大の胸に“エースの金言”。
posted2016/09/15 07:00
text by
田尻耕太郎Kotaro Tajiri
photograph by
NIKKAN SPORTS
「えっ!? あそこに居るの、金メダルの上野さんじゃないですか?」
いまやホークス先発陣の立派な柱に成長し、個人タイトル獲得も見えてきた千賀滉大。'12年1月。当時まだ18歳だった右腕が見せた、あの驚いた顔は、いまだに忘れられない。今となってはイイ笑い話である。
千賀はプロ1年目のオフから毎年1月は福岡県八女市へ足を運び、多数のプロ野球選手が愛用する「コウノエベルト」の考案者でもある鴻江寿治トレーナーの主宰する自主トレに参加している。これは、そこに初めて訪れた時の話だ。
トレーニング場の玄関の扉を開けると“先客”たちの声が二階から響いていた。階段に足をかけるが、なんだか足どりが重そうだ。緊張していた。筆者は後から続いて上がったが、あの頃はまだ細かった背中からも分かりやすく伝わってきた。
「今日から、あの吉見さんと一緒に練習が出来る」
そのことで頭がいっぱいだったのだろう。吉見さんとは、ドラゴンズのエースの吉見一起のことだ。二階に上がったら大きな声で挨拶をしなくては……。しかし、寸前で足を止めてコチラを振り返ると、強張った表情の冒頭のシーンとなったのだ。
同期の新人・柳田が144キロを出して愕然とした。
一緒に練習を行うのは吉見だけではなく、ソフトボール界のレジェンド上野由岐子、さらに吉見が連れてきた大リーガーのチェン・ウェイン(その年からオリオールズでプレー)、まだブレイク前の大野雄大(ドラゴンズ)ら、錚々たる顔ぶれが一つの部屋にそろっていたのだ。上野をはじめたくさんのメンバーがいることは事前に伝えておいたはずだが、「吉見さん」「初めての自主トレ」などで、頭がいっぱいになっていたのだろう。
あの頃はまだ背番号128の育成選手。まさに無名の存在で、千賀本人の言葉を借りれば「どんケツで、ビリもビリ」という立ち位置だった。
1年目キャンプ前の新人合同トレーニングでは大きなショックを受けたこともあった。同期入団のドラフト2位は柳田悠岐。ある日、「遊び」だと言ってブルペンでピッチングを始めた。球速を計ると、なんと144キロをマークしていたのだ。
「あの頃のボクは140キロも出ないピッチャーですよ。大卒とはいえ同じルーキーで、しかも外野手が……。とんでもない世界に来てしまったと感じました」