“ユース教授”のサッカージャーナルBACK NUMBER
中京大中京にベンゲルの遺伝子あり。
元名古屋・岡山哲也監督の覚悟、情熱。
posted2016/08/22 07:00
text by
安藤隆人Takahito Ando
photograph by
Takahito Ando
“元Jリーガー”
Jリーグは誕生から23年を迎えた。シーズンごとに多くの選手が引退し、この肩書きを持つようになった。解説者になった者、監督やコーチなど指導者になった者、クラブ職員になった者、サッカースクール、フットサルクラブを立ち上げた者……。様々な形でサッカーに関わる者もいれば、一般企業に就職し、サッカーから離れた者もいる。
十人十色のセカンドキャリアを歩んで行く中で、かつてJリーグで一時代を築いた男が、高校サッカーの指導者としての道を着実に踏み進めている。
岡山哲也。
1992年に中京高校(現・中京大中京高校)から名古屋グランパスエイト(現・名古屋グランパス)に入団すると、そこから名古屋一筋12年。1995年から1996年シーズン途中まで、アーセン・ベンゲル監督(現・アーセナル監督)の下、豊富な運動量と動き出しの質、高い戦術理解力を駆使し、“ベンゲルの申し子”とも言われるほどの活躍を見せた。
'05年に名古屋から新潟に移り、アルビレックス新潟シンガポールを経て、'08年をもって現役を引退。その後は指導者としての人生をスタートさせ、名古屋グランパスのスクール・普及グループのスタッフとして、幼稚園児や小学生たちの指導に携わった。そして、2011年2月からクラブからの出向と言う形で、母校のサッカー部監督に就任した。
「余計なプライドはもはやトゲでしかない」
今年で監督就任6年目。だが、岡山が“元Jリーガー”だからといって、就任1年目から強豪高校サッカー部の監督として軌道に乗ったわけでは無い。そこには岡山が持ち続ける、強い覚悟があった。
「“元Jリーガー”という肩書きは、時にはチャレンジすることの邪魔をするよね」
筆者は8月13日から15日に掛けて、愛知県で開催された高校サッカーのフェスティバルの取材に行った。そこでフェスティバル主催者であった岡山と何気ない話をしていると、彼からこの言葉が出て来た。すかさずこの言葉の真意について話を向けると、岡山はこう返してきた。
「現役を離れたら、もう一度ひとりの社会人としてやっていかないといけない。そのときに“元Jリーガー“という肩書きを出したところで、それは人が評価すること、見ることであって、『俺はプロでやって来た』とか、余計なプライドは社会人としての妨げとなる。余計なプライドはもはやトゲでしかない」