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清原和博への告白。
~甲子園で敗れた男たちの物語~
text by
鈴木忠平Tadahira Suzuki
photograph byKatsuro Okazawa
posted2016/08/10 10:30
高校入学時は身長186cmで、か細いばかりの体型だった清原。甲子園では、1年夏に優勝、2年の春・夏は準優勝、3年の春ベスト4、夏優勝という成績を残す。
“怪物”と恐れられた少年の知られざる一面。
清原が甲子園で打った13本のホームラン。打たれた当事者たちを訪ねる旅が始まった。最初は壁があった。
「もう覚えていないですよ。話すこともありません」
'84年の春、初戦で清原のホームランを含む、甲子園新記録となる1試合6本塁打を浴びた砂川北のエース辰橋英男さんは、口を閉ざした。だが、かつて、自らの試験の合否を甲子園のヒーローに託した男の思いを伝えると、心のドアを開けてくれた。
「そうですか。思い出してみます……」
同じ春、やはり、清原に2本塁打を浴びて、大敗した京都西の関貴博さんも同じだった。思いをストレートに伝えると、口を開いてくれた。
「僕があの時のことを話すのは、これが初めてです」
'85年夏の準決勝、清原に2本のホームランを打たれた滋賀・甲西高校の金岡康宏さんと会ったのは甲賀市内の喫茶店だった。彼の中にある清原像は、打席で投手を睥睨する“怪物”ではなく、偶然、一緒になった鳥取県の宿舎で、ピンポン球を追いかけた無邪気な“少年”だという。
「頼まれたら、断れない男。裏切らない男。ずっと一緒にいたわけやないのに、なぜかそう思うんです。だから、何とか、立ち直ってほしい……」
そう言うと、金岡さんは人目もはばからず、泣き出した。
そして、最後の夏。決勝戦で清原を目前にしながら、マウンドに立てなかった宇部商・田上昌徳さん。彼の堆積した後悔の念を聞いた時には、思わず言葉を失った。
甲子園のスーパースターは今、何を思うのか。
甲子園球場内にある「歴史館」。かつて、そこに飾ってあった清原のユニホームとバットは今はもうない。聖地を沸かせた怪物に対して、世間が沈黙する今、ライバルとして対峙した彼らが語ったのは単なる思い出話ではなかった。50歳を前に、いろいろと失っていく人生の現実。清原と自分たちがいる「今」を直視し、それでも、自分たちの胸の中にいる男こそが本当の清原だという、いわば、30年越しの「告白」だった。
熱は伝わる。彼らが口を開いてくれたのは、少なからず、あの日、西船橋の居酒屋にあった“熱さ”に共感してくれたからだ。彼らもまた、自分たちの全てをかっ飛ばしたあのバットに願いを託し、勇気づけられながら生きてきた。だから、今度は彼らの告白が、その熱が、独りになった甲子園のスターに伝わることを願ってやまない。