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シリア、コンゴ、南スーダンからリオへ。
難民選手団が体現する平和の精神。
posted2016/08/08 11:00
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph by
AP/AFLO
それは歴史的な瞬間だった。
206番目のアナウンスが行なわれる直前から、歓声が広がった。
ポルトガル語と英語でアナウンスされた瞬間、歓声はさらに大きくなった。
その中を、10名の選手は、にこやかに、楽しそうに、軽やかに足を進めた。オリンピック史上初の参加となる難民選手団に、拍手が鳴り響いた。彼らはそれぞれの理由で故郷を追われ、難民となりながら、スポーツに打ち込み、大舞台を踏みしめた。これ以上もない笑顔が並んだ。その笑顔には、心からの深い思いが込められていた。
難民による選手団を結成することを国際オリンピック委員会(IOC)が決めたのは3月2日のこと。6月3日には選手団の概要が発表され、各競技の設定する出場資格を得た10名の参加となった。
背景には、中東などの紛争地域からヨーロッパへの難民流入が大規模となり、世界中の目を集めたことがある。それにとどまらず、難民の支援活動にあたる国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が支援する世界の難民も急増している。その状況から、参加へとつながった。
脆弱なボートに水が入り、迷うことなく海中へ。
各競技の五輪参加基準をクリアし選ばれた10名の選手には、さまざまな軌跡があった。
2012年の世界短水路選手権に出場したユスラ・マルディニはシリアに生まれ育った。現在は18歳になる。収拾のめどの立たない悲惨な内戦は何年も続いてきた。昨夏、ついにシリアを逃れ、トルコからギリシャへ向かうボートに乗った。テレビのニュースで、海を渡る人々の姿は何度も伝えられてきた。その1人だった。
20名ほどがひしめきあっていた。その人数で大海を渡るには、ボートは脆弱だった。やがてエンジンは停まり、水が入ってきた。
そのとき、ユスラは姉とともに迷わず海中へ飛び込んだ。
「乗客の中には泳ぎ方を知らない人もいました。もし乗っていた人がおぼれたら、それは恥ずべきことだったでしょう」