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シリア、コンゴ、南スーダンからリオへ。
難民選手団が体現する平和の精神。
text by
松原孝臣Takaomi Matsubara
photograph byAP/AFLO
posted2016/08/08 11:00
開会式に臨んだ難民選手団。旗手は、南スーダンのローズ・ナティケ・ロコニエン選手。後ろには、シリアからのユスラ・マルディ二選手の姿も。
3時間半ボートを押し続け、欧州の地にたどり着く。
スイマーとしての自覚が行動を促した。
ユスラと姉、そこに加わった乗船者の計4名はボートを押し続けた。疲労は極限に達していた。それでも押し続けた。
やがて、陸が見えてきたとき、3時間半が経とうとしていた。
そこはギリシャのレスボス島だった。ユスラは北へ、北へと旅すると、昨年9月、ドイツへとたどり着く。ベルリンのスイミングクラブでトレーニングを始め、コーチも驚くほど成長を見せると、ついに代表に選ばれた。
「私はすべての難民を代表したいです。苦しみの後、嵐の後には落ち着いた日々がやってくるということを皆さんに示したいからです」
避難民の子どものためのセンターで柔道と出会った。
柔道81kg級、24歳のポポレ・ミセンガはコンゴ民主共和国に生まれた。
コンゴの町キサンガニで紛争を逃れたとき、9歳に過ぎなかった。家族と引き離され、8日間森をさまよったのちに救助され、首都キンシャサの避難民の子どものためのセンターで柔道と出会った。
「子どもの頃は何をするべきかについて教える家族が必要だけれど、私にはいませんでした。柔道が私に平常心、規律、義務……すべてを教えてくれました」
家族を失ったポポレにとって、柔道は生きるための規範だった。柔道家として歩み始め、やがて、国を代表する選手として国際大会に出るまでになった。
だが、コーチは柔道の本来の姿とはほど遠い人物だった。試合で負けると、コーヒーとパンのみしか与えず、檻に何日も閉じ込める罰を科せられた。虐待が何度も繰り返された。