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脇本雄太(リオ五輪 ケイリン日本代表)
「競輪界の未来を背負い、渾身の力を!」
posted2016/08/10 10:00
text by
石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Tetsuya Ito
誰よりも五輪を熱望していた亡き母の想いと、日本競輪界発展のため、
「五輪で最高の走りを見せる!」と宣言した脇本雄太選手です。
中学まで運動とは無縁の生活を送ってきた。高校入学時に友人に誘われ自転車に乗り始めると、才能が開花した。高校2、3年時には国体の少年1kmタイムトライアルで優勝。「日本一になったのなら世界一になりなさい」。母・幸子さんの一言がきっかけとなり、脇本雄太は競輪の道に飛び込んだ。
母の気持ちに応えたい――。競輪に打ち込む傍ら、「世界」=「五輪」という目標に向かって自転車競技にも力を入れていた矢先、'11年、母がガンで他界した。
「五輪の舞台を見せたいという目標がなくなってしまった」
ロンドン五輪の出場権を逃し、一時期は走る意味を喪失。競技から離れてしまった。しかし、「このまま諦めるのは自分のためにもよくない。周りの期待を裏切ることにもなる」。闘志に火がつくと、五輪を目指し再び立ち上がった。
「日本の競輪界を盛り上げるためなら、どんなことでも」
リオ五輪では男子ケイリンに出場する。
亡き母と約束した「世界一」はもちろん、兄の背中を追い、同じ自転車競技に挑む高校生の弟のためにも、「最高の走りを見せたい」と気合は十分だ。
さらに、競輪選手と自転車競技という二刀流を貫き続けた男は、日本発祥の“ケイリン”でメダルを獲得するという強い使命感に燃えている。「日本の競輪界を盛り上げるためなら、どんなことでもしますよ」と、その言葉はどこまでも力強い。
五輪後には豊橋競輪場で開催されるケイリン エボリューション(8月28日)に出場する。国際競技大会のルールで実施する同レースにも、「自転車の魅力をぜひ伝えたいですね。もちろん、勝って当たり前の心構えで挑みます。絶対に負けられません」と並々ならぬ意欲を見せる。
そこには、日本競輪界の人気回復、そしてさらなる発展を切実に願う脇本の強い思いが秘められている。
脇本雄太Yuta Wakimoto
1989年3月21日、福井県生まれ。'08年7月に福井競輪でデビュー。'14年アジア選手権男子ケイリンで優勝。また、同年の仁川アジア大会で5位に入った。今年3月のトラック世界選手権男子ケイリンで5位入賞。181cm、74kg。