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五輪のOAは吉田麻也の成功にならえ!
下の世代に「降りていく」重要性。
text by
佐藤俊Shun Sato
photograph byJMPA
posted2016/06/18 08:00
ロンドン五輪で吉田麻也はキャプテンとしてチームを盛り立てた。その活躍もあいまって、直後にサウサンプトン移籍を勝ち取った。
頼られるのではなく、親しまれる。
また、表面上は仲良くなっていても、いざ一緒にプレーするとなるとどうしても遠慮がちになったり、OAの選手に頼る傾向が出てきてしまう。アテネ五輪の時は、「伸二さんに預ければ」という声が多く聞こえたが、OAの選手が圧倒的な存在感を持っていると、若手がその力に依存し、結果としてチームの総合力を上げることが難しくなってしまうケースもある。
幸いなことに、ロンドン五輪の時はOA起用がうまくいった。それは吉田と徳永のキャラクターと彼らのポジションに因るところが大きい。
「麻也さんは、守備の時にルーズにやっていると怒るし、それが半端なくこわいけど、普段はおもしろいし、すごく親しみやすい」
当時、そう言ったのは清武弘嗣である。
吉田は1歳しか年齢が違わず、メリハリの利いた明るいキャラクターが清武らの世代とうまく融合できたひとつの要因であることは間違いない。
また、吉田が守備の選手だったことも大きい。吉田はすでにA代表の主力としてプレーし、2011年アジアカップで優勝した成功体験を持っていた。そして大会に勝つことの難しさを知り、守備面の引き出しを多く持っていた。
吉田がOA枠で加入した時、チームは最終ラインを含めた守備に大きな不安を抱えていた。すぐに吉田は既存の選手と話し合い、守備のやり方を整理していった。それを大会直前の練習試合で試し、うまくいったことでチームは守備に自信を持てるようになったのだ。
自分たちだけでは解決できなかった守備の問題を解決したことで吉田は彼らから大きな信頼を得て、チーム力を大幅にアップすることができた。
A代表での経験を伝えることも重要。
もっとも吉田自身は、チームに合流した時は「このチーム大丈夫か」と思ったそうだ。試合前のロッカーは、おしゃべりがうるさくてまったく緊張感がなかったという。代表としての意識がまだ低かったということなのだが、吉田は試合へ向けた気持ちの作り方などA代表での経験を伝え、試合前のロッカーでは私語をつつしみ、試合に集中するようにした。そういうことを自分の経験則から若い世代に伝え、チームの雰囲気を変れられることがOA選手の理想である。
一方、徳永は決して出しゃばらず、一歩下がった状態からチームを俯瞰し、若い選手をうまくフォローしていた。
前に出る吉田、うしろからサポートする徳永がチームにフィットし、若い選手の潜在的な能力を大きく引き出し、チームの勝利に貢献した。それがOA枠の目的であり、必要とされる選手の見本だろう。