野球場に散らばった余談としてBACK NUMBER
野球の華、レーザービームが消える?
コリジョンルールが生む困惑の数々。
text by
酒井俊作Shunsaku Sakai
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2016/05/19 10:30
走路は空いているようにも見えるが、捕手・原口がベースをまたいでいたためコリジョンルールが適用された。明確な基準の設定が待たれる。
クロスプレーの排除は野球の魅力を損なう。
審判とはいえ、人間だからプレーの見方に誤差が生じるのは当然だ。このルールの本家である大リーグでも、実施1年目の'14年は現場が困惑し、本塁の判定で92回のチャレンジ(リプレー検証)があったが'15年は激減。日本でも時間がたてば、おのずと解消されていく問題だと思う。判断基準も共有されていくだろうが、瞬時のプレーに捕手の立ち位置だとか、走路だとか、矢野コーチが指摘するように基準が「複雑すぎる」ままでは混乱は続くだろう。
阪神の球団首脳は「本塁のクロスプレーは野球の華でしょう。このままでは、クロスプレーはしてくれるな、ということになる」と一石を投じる。強肩が生むレーザービームは、わずか6秒間のドラマなのだ。
打った瞬間から外野手が捕り、送球が本塁に到達するまでを、中村豊外野守備走塁コーチは「7秒かかってはいけない。6秒5くらいまでならOK。6秒台前半なら、まず走者はかえってこれない」と説明する。ゼロコンマ数秒の世界で、しのぎを削るのがクロスプレーだ。
そこには外野手の知恵が凝縮されている。打球の方向や質、風向き、芝生の状態……。あらゆる要素をインプットした上で、チャージをかけて、走者を刺しにいく。新ルールが複雑なままでは、野球が変わるだけでなく、野球の見方すら変わってしまう恐れもある。
ラフプレーを戒めるためのルールであるべき。
ゴロが外野へ。走者は三塁を蹴って本塁へ。息をのむ。心を奪われる。固唾をのんで走者の足と外野手が投げた白球の行方を見守る。時は止まり、我を忘れてプレーに没頭できる、ぜいたくなひとときだったはずだ。イチロー、新庄剛志……。誰もが、あの一直線の球筋に見とれた。
今年は違う。そういう打球が飛んだ瞬間、雑念がよぎる。「コリジョンか……。セーフ? アウト?」。球趣はそがれ、6秒間のドラマは台無しになる。ルールに縛られすぎると、野球は窮屈になって仕方がない。
そもそも、なぜコリジョンルールなのか。大リーグではジャイアンツの若きスター、ポージーが本塁クロスプレーで重傷を負ったことがきっかけで制度化された。日本でも元阪神のマートンが本塁で捕手に体当たりし、骨折させた経緯もある。危険すぎるラフプレーを抑止するためのものだったはずだ。ただ、その原点に立ち戻ればいいと思う。