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「慕われる監督」では行き詰まる!?
高橋由伸よ、絶対権力者を目指せ。 

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鷲田康

鷲田康Yasushi Washida

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photograph byKyodo News

posted2015/12/12 10:50

「慕われる監督」では行き詰まる!?高橋由伸よ、絶対権力者を目指せ。<Number Web> photograph by Kyodo News

トークショーは和やかだったが、監督についての理想論は激しい火花を散らしていた。

2度の原政権で大きく変わった監督像。

 実はこの話で思い出したのが、高橋監督の前任者である巨人の原辰徳前監督の2度の監督生活での姿勢の変化だった。

 2002年に最初に監督に就任したときには「巨人愛」を掲げて、選手の兄貴分的な立場でチームをまとめ上げた。

 選手の個性を尊重して慕われる監督像を目指したチーム運営を行ったわけである。

 就任1年目はまだ松井秀喜が4番を打ち、2年目の阿部慎之助捕手が頭角を表してきた。選手だった高橋監督も故障に苦しんだ年だったが、グラウンドに立てばまさに全盛期だった。また投手陣も上原浩二投手がエースとして君臨するなどタレントが揃ったチームだった。だから監督はそういう力のある選手に気分良くプレーさせて力を引き出すことで、あっさり日本一へと上り詰めた。

 ただ翌年、松井がメジャーに移籍し、ベテランの工藤公康、桑田真澄両投手らに力の衰えが出はじめて、たちまちチームは崩壊した。そうしてフロントとの軋轢で原監督はチームを1度、離れることになるわけである。

 そして2年後に再び監督に就任したときに、原監督の描く監督像というのは大きく変化していたのである。

「勝つ監督」で居続けるために必要なこと。

 絶対的な権力者としてチームを支配する。それがその後の厳しい選手起用や勝つために選手に自己犠牲を厭わない采配へとつながっていく。その結果が第2期の10年間で6度のリーグ優勝と2度の日本一を達成した名将への道を切り開くことになった。

 もちろん高橋監督がどういう理想の監督像を描き、どういう方法でチームをまとめ上げていくかはこれから自身で考えていくことであり、ましてやユニフォームを脱いだばかりの1年目は、本人が試行錯誤して、決してこうしなければならないという正解があるわけではない。

 あえて言うならば勝つこと、勝つやり方が正解だということしかない。それは選手の気持ちを尊重して慕われる監督かもしれないし、絶対権力者として選手を支配する監督かもしれないのである。

 ただ、これから先の長期的な展望に立つならば、いずれは川上、星野、原と長く監督をやって実績を残した監督たちがそうだったように、選手との一線を画した距離感が必要になってくるときがくるはずである。

 勝つ監督。長くその座に君臨する監督に共通する思想は、監督とは絶対的な存在だ、ということだからである。

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