月刊スポーツ新聞時評BACK NUMBER
プチ鹿島が11月のスポーツ新聞を切る!
梨田監督と力道山の偉大さを考える。
text by
プチ鹿島Petit Kashima
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/12/01 10:40
岡山県・倉敷市で行われた楽天の秋季キャンプにて。リラックスした表情を見せる梨田監督。
北の湖の訃報は全て「憎らしいほど強い」。
韓国戦の翌日。大相撲の第55代横綱で、日本相撲協会の理事長を務める北の湖の訃報が飛び込んできた。
11月21日のスポーツ紙見出しは以下。
『北の湖さん死す がんに奪われた憎らしいほど強い横綱』(日刊スポーツ)
『北の湖理事長急死 優勝24回憎らしいほど強かった』(サンスポ)
『北の湖理事長急死 史上最年少21歳2カ月で横綱昇進』(スポーツ報知)
『北の湖理事長急死 場所中に九州で救急搬送』(スポニチ)
『北の湖理事長急死 早すぎる62歳』(東京中日スポーツ)
『北の湖理事長急死 憎らしいほど強かった昭和の大横綱』(デイリースポーツ)
この日は全紙、北の湖。「憎らしいほど強い」というフレーズはすべてのスポーツ紙が紙面のどこかで大きく使った。
現役時代の担当者がエピソードをふりかえる追悼記事が各紙あったが、素顔は「お茶目で大の酒好き」(サンスポ)と各紙共通していた。
強すぎて嫌われていた北の湖だが……。
ほかに印象深かったエピソードを紹介しよう。
《現役時代から記憶力のすごさを言われていた。「●日目で上手を巻き替えて…」と今でも取り口を覚えていた。電話がかかってくると、携帯の画面を見て「あっ、どうも」と応対。画面に出ているのは電話番号だけで電話帳登録はしていない。「簡単だ。下4ケタぐらい誰だって覚えられるだろ」。びっくりだった。》とは、日刊スポーツの担当記者の思い出である。
私は子どものころに初めて見た横綱が北の湖だったので、横綱とは強すぎて嫌われる存在のことなのだと理解していた。北の湖を千代の富士が倒して優勝したとき(1981年)はもう小学校中が翌朝大騒ぎ。それもこれも北の湖が強すぎたからだ。
その北の湖もさすがに徐々に衰えをみせ、しばらく優勝できなくなる。故障の影響による体調もあり、あれだけ憎たらしかった北の湖に観客から温かい拍手がおくられる時期が訪れた。当時、雑誌『Number』で北の湖の復活を願う特集号が出たのもこの頃だ。私は小遣いで買って読んだ。あらためて調べてみるとこの号。
「甦れ! 北の湖」(『Number79号・1983年7月5日発売)。むさぼり読んだのを覚えている。
この翌年(1984年)五月場所、北の湖は全勝優勝を遂げる。私は嬉しかったけど、完全復活というよりは最後の力をふりしぼった燃焼のように思えてどこか寂しかった。北の湖は翌年に引退。やはり、あれが最後の優勝だった。
強くて威厳がある横綱。北の湖にとっては当たり前のことかもしれないが、私は北の湖を体験できてよかったとつくづく思う。