プロレスのじかんBACK NUMBER
最後までプロレスは“辛口”で――。
天龍源一郎、堂々たる革命の終焉。
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph byEssei Hara
posted2015/11/17 16:00
ジャンボ鶴田、阿修羅・原(共に故人)、藤波辰爾(61)、長州力(63)らと半世紀近くも戦い続けたレジェンド。
阿修羅・原がいたからこそ……。
やがてシリーズをこなすごとに、同じ会場での興行に前回よりもお客さんの数が増えているのが目に見えてわかった。当然、天龍のなかで「俺が全日本を引っ張っているんだ」という意識も芽生えた。
それもすべてはいつも自分の傍らに原がいたから。
どんなに強い信念を持っていても、ひとりでやっているとどうしても妥協をしてしまう。しかし、相棒ががんばっていると自分もがんばれたし、自分ががんばれば相棒ももっとがんばった。そうして革命は成就し、さらにテンションを高めていったのだった。
そんな1987年という年に、アサヒビールからスーパードライが新発売された。日本初の辛口・生ビール。ある日の控え室で「これ、新しく出たビールです」と言って手渡された。試合が終わったばかりの喉がカラカラになっている状態のときだったから、そんな前おきも気にせずバッとフタをあけ一気に飲んでみたら「なんだこれ。美味い!」と感じた。それまでまったくお酒を飲まない人間だった原も、そのスーパードライだけは「美味いね、これ!」と驚いた。
「あれを飲むためにがんばろうぜ」
その日以降、激しい試合をやったあとにスーパードライを飲むというのが龍原砲の決まり事となった。どこの店に飛び込んでも、まずはスーパードライをジョッキで3~4杯飲み干してからメシに手を付けた。スーパードライは天龍革命におけるニトロの役目を果たした。
ファンが、いつかまた「原点」へ戻る時のために。
天龍には「ファンはかならずいっとき離れるもの」という持論がある。
気持ちのありようや生活環境の変化などで、ファンはかならず一度は離れていくもの。だが、その人たちがふとしたことでまたふたたびプロレスに振り向いたとき、プロレスの世界を覗きにきたときに、どこに拠り所を求めるか? それはやはりその人がかつて観てきたもの、つまり原点。原点に戻ってきたときの安心感、居心地のよさというのは何物にも変えられないからだと言う。
「その戻ってきてくれたチャンスのときに原点がブレちゃってるとさ、『なんか景色が違うなあ』って居心地が悪くなって、またほかのほうへ行っちゃうと思うんだ」