プロレスのじかんBACK NUMBER
全日本プロの全遺伝子を継ぐ男。
丸藤正道がノア復興にかける覚悟。
posted2015/11/03 10:50
text by
井上崇宏Takahiro Inoue
photograph by
Essei Hara
プロレスラーになってから一度も“後悔”というものをしたことがない。
こんなはずじゃなかったとは思わないし、思いたくもない。
誰もが認める天才、プロレスリング・ノアの丸藤正道は中2で将来はプロレスラーになろうと決めた。
男4人兄弟の末っ子だった丸藤は、兄たちの影響で小学2年生のときに観た、ロード・ウォリアーズの異形の姿に衝撃を受けて以来のプロレスファン。本当は中学を卒業してすぐにプロレスラーになりたかったが、親からの「高校だけは出ておけ」という忠告に従い、妥協案としてレスリングの名門・埼玉栄高校に進学する。
もちろんそれはレスリング部に入部して、プロレスラーになるための準備をするため。いわば丸藤にとって、高校はプロレス予備校だった。
しかし、当時の栄高レスリング部は予備校と呼ぶには、あまりにもスパルタだった。プロレスの世界でしばしば語られる「限界がきてからが本当の練習」を、すでに高校で量と質両方で経験した。
プロレス並に厳しかった高校のレスリング部。
年間を通して練習が休みの日は、正月とお盆の3日間程度。上下関係も厳しく、「それが嫌なら強くなれ」という世界。当初の目的であった「プロレスラーになるための経験、基礎作り」という感覚はどこかに吹き飛んだ。レスリングで強くなること以外のことを考える余裕なんて持てようがなかった。
なぜか高2のときに、のちにMMAで活躍する桜庭和志も所属していた格闘技志向の強いプロレス団体・キングダムの入門テストを受けた。
スパルタ式のレスリングを毎日やっていたから一発合格だったが、高校を卒業する前にはキングダム自体が消滅していた。そこで、レスリング部の監督が全日本プロレスのスターだった三沢光晴と交流があったことから口を利いてもらい、「合宿所に入って1週間、練習と雑用を耐えられたら入門してもよい」という異例の入門テストを受ける。
要するに根性試しだったが、そもそもがプロレス少年だった丸藤は、テレビで観ていた人たちと一緒に練習や生活をすることに喜びを感じた。