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“浦和育ち”山田直輝の大きな転機。
湘南で思い出した、輝くための原点。
posted2015/08/19 10:40
text by
轡田哲朗Tetsuro Kutsuwada
photograph by
J.LEAGUE PHOTOS
試合を終えた山田直輝がミックスゾーンに姿を現すと、報道陣が呼びかける。普段から浦和を取材している記者が多い場所へ、笑顔を浮かべながら「懐かしい顔がいますね」と歩み寄ってきた。
8月16日の浦和レッズvs.湘南ベルマーレの一戦、山田にとって人生で初めて埼玉スタジアムを「アウェー」として戦った。スタジアムに到着すると、慣れ親しんだホーム側のロッカールームではなく、アウェーチームが使用する部屋へ。
「初めてアウェーのロッカールームに入って、向きが全部逆で、変な感じはしましたね。アウェーで埼スタに来たんだなという感じでした」と、ここがホームスタジアムでないことを実感したという。
試合前、スタジアムでは両チームの選手紹介が行われる。浦和のホームゲームでは、先にアウェーチームの紹介を簡素に行い、演出などが多く取り入れられたホームチームの紹介に移る。この日も当然のように、山田の名前は簡素に読み上げられた。それでも、スタジアムに詰めかけた浦和のサポーターから大きな拍手があった。
山田自身はすでにウォーミングアップを終えてロッカールームに引き上げていたため、その拍手は聞いていなかったという。それでも、その反応を伝えると「そうだったんですか」と、少しはにかんだような表情を見せた。
浦和の街全体が希望を抱いた「黄金世代」の中心。
山田直輝と浦和――チームもさることながら、浦和の街――は、切っても切り離せない関係にある。というのも、浦和は言わずと知れたサッカーの街。さいたま市に合併される前の浦和市で育ち、FC浦和の一員として小学生時代に全国を制覇。中学では浦和のジュニアユース、高校では浦和ユースの一員として、国内の頂点に立っている。
特に、埼玉スタジアムで浦和ユースが名古屋ユースを9-1で下して優勝した2008年の高円宮杯決勝は、今でも語り草だ。高橋峻希(現ヴィッセル神戸)や濱田水輝(現アビスパ福岡)などが同期で、1歳下には原口元気(現ヘルタ・ベルリン)もいた。『浦和ユース黄金世代』と呼ばれ、浦和の街全体が彼らの未来に対する希望に満ち溢れた。
山田もトップ昇格1年目の'09年、すぐに当時のフォルカー・フィンケ監督に才能を見出され、ポジションを与えられた。その年には日本代表にも選出され、デビューまで果たしている。小・中・高と浦和を日本一に導き、あとはトップ世代だけ。それも、遠くない将来に実現するだろうと思われていた。