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清宮幸太郎を甲子園に導いた
2つの特別な「原動力」。 

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photograph byShota Matsumoto

posted2015/08/05 10:30

清宮幸太郎を甲子園に導いた2つの特別な「原動力」。<Number Web> photograph by Shota Matsumoto

1999年生まれの清宮。2006年に斎藤佑樹の活躍を見たとき、彼は小学1年。小学4年で野球を始め、中学1年でリトルリーグ世界一を経験。高校1年の今年、また彼に注目が集まる――。

「そこに戻る」

 という言い方を清宮幸太郎はした。

 7月24日、猛暑にうだる神宮球場。その記者会見室で、じっとりと汗をかいた清宮が、これまた誰もが汗でぐっしょりの報道記者にぐるりと取り囲まれていた。傍目から見ればややヒステリックな調子を帯びた質問が、16歳のヒーローに向かって飛ぶ。「甲子園にだんだん近づいてきて、あと1勝というところまで来ましたけども、甲子園への思いというか、気持ちの高まりみたいなものはありますでしょうか?」

 ほんの十数分前まで、グラウンドでは西東京大会準決勝の早稲田実業対日大三高戦が行われていた。試合を決めたのは清宮だった。3回裏、フルカウントからの高めに抜けるストレートを強振、観る人が「わあ」と口を開けているうちに、打球はもう神宮球場のライトフェンスにペイントされた「明治記念館」の広告文字を直撃していた。この2点タイムリーを主戦の力投で守り切った早稲田実業が、戦前の大方の予想を裏切って、優勝候補の壁を越えたのだった。

 熱戦を制した興奮はどこへやら、殊勲の男は大きなからだを心持ち窮屈そうにかがませ、時に顔の汗を肩口でぬぐいながら、実に落ち着いた受け答えをする。

「自分の野球のきっかけも甲子園にあるんで、そこに戻って……って言ったらおかしいですけど」

「戻る」という言葉を何気なく発した。一度も甲子園に出場したことのない1年生にしては少し大胆な発言であるのに、その場にいる報道陣はただ一様にうなずくのみだ。誰もが、彼が“甲子園の申し子”であるという認識でいる。誰もが、高校野球の歴史が100年を迎えた年にあらわれた大物ルーキーの言葉に耳を傾け、記録することに必死である。

幼いころスタンドで生観戦した早実×駒大苫小牧。

 知られたことだが、清宮幸太郎がかつて甲子園への憧憬を強めた背景には斎藤佑樹の存在がある。事実、この西東京大会でも、「甲子園と聞くと何をイメージするか」という問いに、「2006年に(早実が)優勝した時じゃないすかね、やっぱり。優勝の瞬間はすごく鮮明に覚えています」と答えたように、小学生の頃、甲子園球場で早実と駒大苫小牧の「延長再試合」の死闘をスタンドで生観戦した際の感動が大きな原動力となっているのだ。

 だが、それ以前にもうひとつの原動力があったことはあまり知られていない。それは清宮に物心がついた頃の“生育環境”に起因している。

【次ページ】 甲子園球場を母とする血が流れている。

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