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清宮幸太郎を甲子園に導いた
2つの特別な「原動力」。
text by
Number編集部Sports Graphic Number
photograph byShota Matsumoto
posted2015/08/05 10:30
1999年生まれの清宮。2006年に斎藤佑樹の活躍を見たとき、彼は小学1年。小学4年で野球を始め、中学1年でリトルリーグ世界一を経験。高校1年の今年、また彼に注目が集まる――。
甲子園球場を母とする血が流れている。
Number883号では、スポーツライターの金子達仁氏が清宮の父、克幸氏(ラグビーのヤマハ発動機ジュビロ監督)から深層を聞き出すことに成功している。
父いわく――。
「ほら、幸太郎が生まれたころって、ウチ、夫婦ともにサントリーの社員で共働きだったじゃないですか。で、嫁の実家に面倒みてもらうことが多かったんですけど、ま、おじいちゃんがなんていうか、結構なアンチ巨人で(笑)」
「(本来右利きの幸太郎が左打ちになった理由は)金本(知憲)の存在じゃないかな。幸太郎にとって、最初のヒーローですから」
詳しくは誌面をお読みいただくとして、つまるところ、清宮幸太郎には元来、甲子園球場を母とする“黄色い血”が流れていたのだ。だからこそ、「戻る」という言葉がけれん味なくあらわれるのである。
大逆転で西東京を制した7月26日の決勝戦後、報道陣とこんなやり取りがあった。
「(地方大会では)ホームランはなかったわけですけど、1本打ちたいなという思いも残りましたか?」
「まあそうっすね。甲子園にとっておきます」
さあ、100周年の夏本番がやってくる。剋目して待とう。“聖地の申し子”の、浜風を切り裂くような挨拶がわりの一発を。
Number883号は高校野球誕生100周年を記念した総力特集。清宮幸太郎の深層に迫る記事を掲載しています。記事の全文を、緊急アンケート「夏の甲子園・記憶に残る名勝負・名試合ベスト100」の結果と合わせてぜひお読みください。