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ハリルホジッチ哲学の原点を探る。
1982年、スペインW杯での屈辱。 

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photograph byTakuya Sugiyama

posted2015/03/30 16:35

ハリルホジッチ哲学の原点を探る。1982年、スペインW杯での屈辱。<Number Web> photograph by Takuya Sugiyama

初陣を飾ったチュニジア戦の試合後、ハリルホジッチ監督はこうコメントした。「とにかく選手を本当に褒めたい。そして、彼らに本当にブラボーと言わせて欲しい」。

'82年W杯の得点王候補だったハリルホジッチの悲劇。

 '82年スペインW杯。ユーゴスラビア代表のFWとして得点王候補のひとりにも挙げられていたハリルホジッチは、大会直前の戦術変更によりスタメンから外されてしまう。

「最後の瞬間に監督のミルヤニッチが戦術を変更し、センターフォワードなしで戦う決断を下した。私はベンチを温めて、2試合に交代出場しただけだった。途中出場も拒否しようと思ったほどだった」

 しかも、監督からは何の説明もなく、ハリルホジッチにとって'82年W杯は「最悪の大会」として記憶に残ったのだった。

「何人かの選手たちは、なぜ私(ハリルホジッチ)を起用しないのかと強い調子で訴えた。国外移籍を1年延期してまで代表に尽くしたのに、裏切られた気持ちでいっぱいだった。'82年に起こったことを私は決して忘れない。それが監督としての私のキャリアにも大きな影響を及ぼしている」

“人生のトラウマ”とまで言い切ったハリルホジッチの胸中は、いかばかりだったか。
ハリルホジッチ外しの背景にあった“大きな圧力”とは?
また、就任当時(2011年5月)、個人主義や身勝手な行動が
蔓延していたアルジェリア代表にいかにして“規律”を植え付け、
ブラジルW杯で同国史上初のベスト16に導いたのか。 
本編『新指揮官の哲学』は、Number874号でお読みください。
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