プロ野球亭日乗BACK NUMBER
黒田よりも、松坂こそがスタンダード。
“引退ではなく日本復帰”の筋道を。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNIKKAN SPORTS
posted2015/03/18 12:00
オープン戦ではなかなか本来の投球を見せられていない松坂大輔だが、随所に「大人の」修正力や投球術は見せている。開幕に間に合わせることができるか。
「最後は日本に戻ってきて欲しい」というファンの願い。
そうして10年の時が経過したとき、ファンの描く自分へのイメージが日本復帰への一番の障害になったわけである。もし、日本に復帰してもファンが抱く松井秀喜像に応えることができるのか? 今の自分のプレーはファンの夢を壊すことになるのではないか? そう考えた結果が「引退」だった。それはいかにも松井さんらしい決断と言えるのかもしれない。
ただ、である。
松井さんを含めて日本で輝いていた選手であればあるほど、ファンが願うことがある。それは最後こそは日本に戻ってきて、もう一度、ナマでそのプレーをこの目に焼き付けさせて欲しいという思いなのである。
今年は日本人メジャーリーガーの日本復帰を考える上で、一つのメルクマールとなるシーズンとなりそうだ。
メジャーの20億円とも言われたオファーを蹴って古巣広島に戻ってきた黒田博樹投手がいる。黒田の男気には誰もが胸打たれる。
そしてもう一人の象徴的な存在が、この松坂である。
日本時代の松坂ほど輝いていた投手はいなかった。
日本でプレーしていたときの松坂ほど輝いていた投手はいなかった。
甲子園大会でのPL学園との死闘と、戦後初となる決勝戦でのノーヒットノーラン達成。プロ入りしても高卒ルーキーながら1年目から150kmを越す豪速球でプロの打者をねじ伏せ16勝をマークすると、その後はシドニー五輪、2回のワールド・ベースボール・クラシックという国際舞台でも日本のエースとして大車輪の活躍を見せた。乗り込んだメジャーでも、2年間で33勝をマークしてあのボストン・レッドソックスで主軸投手としての地位も築いた。
だが、様々な故障との戦いと肘の手術で、ここ数年はめっきり力が衰え、メジャーではもはや先発投手としてのオファーはなくなっていた。そうして先発としての自分を取り戻すために選択したのが日本球界、ソフトバンクへの移籍だったわけである。