プロ野球亭日乗BACK NUMBER
黒田よりも、松坂こそがスタンダード。
“引退ではなく日本復帰”の筋道を。
posted2015/03/18 12:00
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph by
NIKKAN SPORTS
2月1日のキャンプ初日。大勢の報道陣に囲まれながら、日本復帰初日の練習を終えたソフトバンク・松坂大輔投手がロッカールーム前の通路で報道陣との雑談に応じた。
そこで「日本時代のファンが描いている松坂大輔のイメージと今は違うが、復帰に際してその点はどういう風に思う?」という質問が飛んだときだった。
ちょっと小首を傾げて考える仕草を見せた松坂は、ニコッと笑ってこう話していた。
「僕も多少は大人になったんだと思います。そういうところをピッチングでも見せられればいい」
そんな言葉を思い出したのは、3月17日のロッテとのオープン戦に登板した松坂のピッチングを見たときだった。
初回は子供のダイスケがいた。
立ち上がりから真っ直ぐでムキになって押そうとしたが、制球が定まらない。先頭の荻野貴司外野手にはストライクを取りにいったスライダーをレフト前に運ばれ、そこから4連打を浴びてあっさりと3点を失った。
しかし、2回以降はガラッと組み立てを変えた。スライダーにカットやカーブ、チェンジアップなど変化球の割合を多くすることで、140kmそこそこの真っ直ぐを逆に有効に使うことができるようになった。その結果、6回までの5イニングはロッテ打線をノーヒットに抑えたのだ。“大人のダイスケ”を実証して、開幕への期待感を高まらせた。
松井秀喜の引退は、日本時代のイメージを壊さないため。
松坂の日本復帰が決まったときから、ずっと抱き続けている期待がある。
キーワードは巨人からニューヨーク・ヤンキースに移籍して2012年のオフに引退した松井秀喜外野手のこんな言葉だった。
「(日本時代の)その姿に戻れる自信を強く持てなかった」
メジャー移籍前の最後のシーズンとなった2002年。松井さんは首位打者こそ逃したが打率3割3分4厘をマークして50本塁打、107打点で2冠に輝いた。巨人の4番だけではなく日本の4番として打席に立つその姿は野球ファンに強烈な印象を残し、そのイメージのままにメジャーへと旅立っていったわけである。