Jをめぐる冒険BACK NUMBER
中村憲剛「カンプノウみたい」。
迫力と便利が両立の新等々力競技場。
text by
飯尾篤史Atsushi Iio
photograph byKAWASAKI FRONTALE
posted2015/02/27 10:30
そもそもは1941年の内務省の等々力緑地の都市計画に基づき、整備中の等々力緑地内に1964年より陸上競技場の建設が開始され、1966年より供用を開始していた。
参考にしたのはスタッド・ドゥ・フランス。
参考にしたのは「サンドニ」の通称で親しまれ、'98年のフランスW杯決勝の舞台となったスタッド・ドゥ・フランスである。岩永氏はここへも視察に訪れ、競技場の管理者にどうやって運用しているのか訊ね、資料をもらって帰ってきた。
「スタッド・ドゥ・フランスは1層目すべてが可動するため、運用の規模や収益に大きな違いがあるんですけど、より見やすい席を観戦者に提供するという点では同じ。完成するのは4月なんですが、それ以降は可動スタンドを使用する予定です」
一方、上層スタンドはせり出すように造られているため、“鳥の視点”で俯瞰してピッチを眺められ、ツウ好みの傾斜になっている。
ここに座って観戦すれば、風間八宏監督のチーム特有の、DFを外す動きや背後を取る動き、サポートの距離や角度など、攻撃のエッセンスをじっくり堪能できるはずだ。
ただし、上層スタンドはあまりに迫り出しているため、ほぼ真下のような角度になる走り幅跳びの砂場がほとんど見えず、トラックの第8レーンも見えにくい。サッカーを見るには素晴らしくても、陸上競技を見るのに適しているとは言いがたい。
それでもこの上層スタンドが造られた背景には、川崎市陸上競技協会の理解があった。
「川崎市の陸協の方も、『フロンターレが最も使用するわけだし、陸上競技で上層スタンドを開放することはめったにないから、サッカー観戦第一で考えてくれて構いません。フロンターレ頑張れ、の姿勢は変わらないですよ』とおっしゃってくれて」
なぜここまでフロンターレに協力的なのか?
そもそも、なぜ、行政も、陸上競技協会も、ここまでフロンターレに協力的なのか。
それはファン、サポーターが等々力で作り出してきた雰囲気と、クラブが続けてきた地道な地域密着活動の賜物だ。
市長は前任の頃から「等々力の雰囲気を誇りに思っている」と話し、フロンターレのサポーターであることを公言してきたし、クラブも陸上競技協会と良い関係を築いてきた。
そして2008年、来場者が増え、このままではスタジアムが危険な状態になるという危機感から、川崎フロンターレサポーター有志、川崎市サッカー協会、川崎市陸上競技協会、フロンターレの4者で「等々力陸上競技場の全面改修を推進する会」を立ち上げ、プロジェクトがスタートする。
署名活動の結果、22万1216筆の署名が集まり、市議会に提出したところ、全会一致で採択された。ファン、サポーター、市民の要望はアンケートで募り、新メインスタンドの建設が進められていったのだ。
「すべての始まりはファン、サポーターの方々が作り出してくれる雰囲気です。それがあったから、市長も陸協もフロンターレや等々力の雰囲気を誇りに思ってくださった。その雰囲気を維持する、さらに良くしていくため、全面的に理解を示してくださったんです」