マスクの窓から野球を見ればBACK NUMBER
甲子園優勝を“後悔”した高橋光成。
西武入り直前の言葉と「150km」。
text by
安倍昌彦Masahiko Abe
photograph byKyodo News
posted2015/02/10 10:30
西武のシニアディレクターである渡辺久信と並んでも、この体格差。甲子園とは全く異なる高橋光成の投球を早くプロの現場で見たいものだ。
美しく報じられるが、彼らはまだ“大きな子供”なのだ。
高校野球は美しく報じられる。そして時として、現実の大きさよりもっと偉大なものとして報じられる。大きな災害があったりすると、その復興の光になることまで求められたりすることもある。
それは「高校野球」がこの国の人々にとても愛されてきた証しでもあるわけだが、しかし本当のところ報じられる対象は、ユニフォームを脱いで制服に着替えれば17、18の高校生であり、自分のことすら自分で判断できない生徒も多い、ただの“大きな子供”だったりするのだ。
高橋光成がまっすぐでよかったと思う。
彼は、自分の置かれた状況を素直に見渡せていた。平気なふりをしていなくてよかった。
「3年生はズルい……」
これ以上率直な思いはないだろう。
苦境を人のせいにしそうになりながら、ぎりぎり踏みとどまって前に進んで行けた。甲子園が終わって日本代表として世界大会へ出かけ、帰ってきた翌日に秋の県大会で敗れ、年が明けたら大切な右手親指を骨折すると、投げられないまま春を迎え、県大会1回戦をコールドで敗れる不名誉まで負った。
「どうした、高橋光成!」
新聞などの紙面には、こんな感じの論調が多く躍った。
高橋光成の変化を、ミットと体で“実感”した。
最後の夏も、1つ勝ったその次で健大高崎に敗れて、高橋光成の高校野球は幕を閉じた。
「この一年があったから、自分、変われたと思うんです。元気な体で野球をやれることがどんなに幸せなことか、実感でわかりましたから」
高校球児がよく言うことだが、「実感で」の一言があったから、私は信じられた。
これでよかったと、素直に思えた。
つい30分前に、私は高橋光成が確かに変わることができたことを、このミットと体で“実感”していたからだ。