プロ野球亭日乗BACK NUMBER
原監督、プレーヤー部門で殿堂逃す。
曖昧な投票基準と、問われる「見識」。
text by
鷲田康Yasushi Washida
photograph byNaoya Sanuki
posted2015/01/29 10:50
名指揮官として一時代を築いている原辰徳監督。プレーヤーとしての殿堂入りは逃したが、エキスパート部門での選出が濃厚だ。
殿堂入りの最大の問題は、投票基準の曖昧さ。
ただ、殿堂入りの投票の一番の問題は投票基準の曖昧さ、投票者の極めて個人的な感情や恣意が優先されているとしか思えない現実があることだった。
殿堂入りが発表された直後の朝日新聞で、人気コラムニストの西村欣也氏が、原監督の落選について触れている。
「『原ブランド』問われる真価」という見出しのコラムでは、西村氏が原監督に投票しなかったことと、その理由としてプレーヤー表彰と監督の実績は分けて考えるべきだということが指摘されている。その上で原監督の現役時代の成績を示し、数字以外の「原ブランド」を殿堂入りの選考基準として一緒にしていいのか、という考えがこの6票差の落選につながったのではないか、と推察している。
要は監督としての実績を基準から外して、現役時代の成績ならば原監督は殿堂入りの資格がないというのが、西村氏の判断ということだ。今後はユニフォームを脱いだ時点でエキスパート部門の候補者となる。コラムはそのことにも触れ、そこで原監督が選出されるかどうかも監督としての実績ではなく「野球人としての評価が問われる」と微妙なニュアンスの表現で締め括られている。
元広島の津田恒実投手の殿堂入りへの称賛。
西村氏が原監督に投票しなかったことは、個人的な見解であり、それをとやかく言うつもりはない。
ただ、である。
こうして投票しなかった理由が書き連ねられたことで、それでは西村氏の投票基準はいったいどこにあるのかという疑問も湧いてくる。プレーヤー部門とエキスパート部門に分かれた後の2012年に、元広島の津田恒実投手が殿堂入りした。そのときに西村氏は同じコラムで津田投手の殿堂入りを美談として取り上げているのである。
2012年1月17日付のそのコラムでは、32歳の若さで脳腫瘍のために亡くなった津田氏の生涯に触れ、津田氏の剛速球を打った現役時代の原監督が、選手生命を左右する左手首骨折をしたエピソードを紹介している。
「(2人の対決は)決闘だったと思う。原は打者としての『死』を覚悟して、打席に立った。津田が見事に勝利した」として「その津田がホール・オブ・フェーム(野球殿堂)に入った。語り継がれるべき物語が、時を超える」と津田氏の殿堂入りを讃えているのである。