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賞金王・小田孔明の「屈辱と激情」。
負け犬、ケンカ、そして石川遼――。

posted2014/12/10 10:40

 
賞金王・小田孔明の「屈辱と激情」。負け犬、ケンカ、そして石川遼――。<Number Web> photograph by AFLO

JTカップを3位でフィニッシュし、36歳にして初めての日本賞金王に輝いた小田孔明。因縁の石川遼を5打上回り、また一つ借りを返した日でもあった。

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桂川洋一

桂川洋一Yoichi Katsuragawa

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AFLO

 スコットランドの突風にあおられながら、少年はお手製のプラカードを掲げていた。

 ターンベリーで行われた2009年の全英オープン初日。小田孔明の組を追うわずかなギャラリーの中には、見知らぬ日本人選手を追う、現地の小学生と思しき男の子がいた。

 遠く離れた親類か。あるいは発掘好きな“超”では済まされないほどのゴルフ通か。

 残念ながら、真実はどちらでもなかった。

 スタート時刻が早朝から夕方にまで及ぶ全英の戦いで、小田の初日のティオフは午後4時半前、出場156人で最後だった。著名選手を除けば、予選の組み合わせは基本的にはランダムに決まるのだが、その少年はどうもひねくれた解釈をしたらしい。

「最後に回るってことは、彼は全員の中できっと一番ヘタなんだと思うんだよ。だから僕は、オダを応援する」

 段ボールのような紙切れに書き殴られていたのは「ODA UNDERDOG」の文字。オダ、アンダードッグ(弱者、負け犬)――。当時31歳の彼は、自分のことを勝ち目など微塵もない選手と見立てた、この小さなファンを引き連れてラウンドしたのである。

 今年の日本ツアー賞金王の頭には、そんな苦い記憶がこびりついている。だが振り返ればそれも、屈辱に満ちたキャリアのほんの一部にすぎなかった。

学校帰りにケンカを売られる日常。

 父・憲翁さんに導かれ、クラブを握ったのは7歳の時。近代的とか、科学的とかいった教えとは一線を画する指導法で、土の上に並べられた古びたボールをひたすら打った。「頭は絶対に動かすな」が信条で、額の横にはいつも父がかざしたクラブがあったが、ミスショットをすれば、それは途端に体罰の道具になった。

「地元は福岡の田舎も田舎」。同世代のゴルフ友達など皆無。世にはびこる「ゴルフは金持ちのスポーツ」のイメージから、浮いた存在になった。毎日300回の腹筋、腕立てに始まる筋トレで鍛えた体は、悪い意味で周囲の目に留まるようになり、学校帰りにケンカを売られるのが日常になった。

【次ページ】 諸葛亮孔明から取られた名前も嫌いだった。

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