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日本一のトレラン大会をつくれ!
100マイルレースの舞台裏 <後編>
text by
山田洋Hiroshi Yamada
photograph byToshiya Kondo/Hiroshi Yamada
posted2014/08/22 11:00
169kmという距離、険しい山道。UTMFはランナーだけではなく、運営側にもタフさが要求される大会だ。
国際レースになった今も、UTMFの運営は手作り。
少しずつ組織は固まってきているが、国際レースになった今でも、UTMFは手作りで運営されている。
「十分な報酬を出せているわけではなく、スタッフの皆は割に合わない仕事になっていると思うんです。それでも『面白い!』と言ってくれて、ありがたいですよ」
選手からのエントリー料が主な収入源となる大会運営は、財政的に潤沢とは言えない。かと言って自然環境への配慮を考えれば、参加人数を大幅に増やすことも現実的ではない。自然保護団体との折衝もとても骨が折れる作業だという。
では、どうしてそこまでして、この大会を続けていきたいのだろうか? その理由は、鏑木さんらとともに2007年に見た世界最高峰のウルトラトレイルレース、「ウルトラトレイル・デュ・モンブラン」(UTMB)にあったという。
'07年、ほとんど情報もないまま出走した鏑木さんが、帰国時には車椅子に頼らなければならなくなるほどボロボロになりながら12位に入り、その時の強烈なインパクトがUTMF開催の原動力になったという話は聞いたことがあった。同行した三浦さんもまた同様にUTMBに心を奪われたという。
「シャモニーの街の盛り上がり、熱気、おおよそトレランの世界では見たことなかったし、祭りとしての凄さにビックリでした。たかがお山のかけっこですよ(笑)。それをここまで仕立て上げるんだってね」
1つのレースが、街そのものを変えていく。
そして、1つのレースの影響力の大きさをひしひしと感じる場面に出くわす。
「2000年にシャモニーを訪れたことがあったんですけど、当時のアウトドアショップはアルパインクライムとトレッキング関連のものぐらいしかなかった。7年ぶりにシャモニーに来るとね、トレイルラン商品の品揃えが見違えるように増えていたんです。話を聞くと、明らかに2003年に始まったUTMBの影響でした。驚きましたよ。こんなことが出来ちゃうんだ、レースって凄い力を持っているんだな! って」
そして、世界を見た目で日本のアウトドアシーンを見渡したとき、そのガラパゴス化を危惧したそうだ。
「僕らも、世界のランナーが本気で狙って来日してくるような大会を作らないといけない。世界一を目指す大会を作ろう! そう鏑木と話し合ったことを覚えています」