スポーツ・インサイドアウトBACK NUMBER
カイナーと2度の野球人生。
~大往生を遂げた最強打者の迷言~
text by
芝山幹郎Mikio Shibayama
photograph byTime & Life Pictures/Getty Images
posted2014/02/16 08:15
パイレーツを追われるように去ったカイナーだが、のちに背番号4はチームの永久欠番に。
2014年2月6日、ラルフ・カイナーが亡くなった。1922年10月生まれだったから91歳の大往生だ。直接見た選手ではないのだが、彼の名はよく耳にした。いまは亡きアメリカの友人(やはり'20年代生まれ)が、楽しそうにカイナーの名前を口に出していたのだ。
え、太く短くのホームラン打者じゃなかったのか。私がたずねると、彼は答えた。それはカイナーの第1章。第2章が、なかなかおかしかったのだよ。ラジオの番組で、しょっちゅう言いまちがいをしてくれてね。
話の先を急ぎたいところだが、ひとまずカイナーの現役時代にさかのぼろう。
カイナーはパイレーツの強打者だった。終戦直後の1946年、23歳でメジャー・デビューした彼は、いきなり本塁打王を獲得する。これだけでも注目に値するのだが、以後7年連続でカイナーはナ・リーグ本塁打王を獲得するのだ。あのベーブ・ルースでさえ、本塁打王の連続最長記録が6年(1926~31年)だったのだから、これは特筆すべき数字だ。
新人カイナーの活躍に驚いたパイレーツ首脳陣は、同じ年にア・リーグの本塁打王を獲った名選手ハンク・グリーンバーグを入団させる。タイガース一筋で活躍してきたグリーンバーグは35歳。4度の本塁打王を置き土産に、そろそろ引退に踏み切ろうとしていた。
「ホームラン打者はキャディラックに乗る」
パイレーツはグリーンバーグを招き、本拠地フォーブス・フィールドの左翼を狭めた。目的はもちろん本塁打の増産だ。狭められた左翼は、まず「グリーンバーグズ・ガーデン」と名づけられ、ついで「カイナーズ・コーナー」と改称された。グリーンバーグの指導も功を奏する。引っ張り打法に磨きのかかったカイナーは51発の本塁打を放ち、師のグリーンバーグも25本塁打を記録して面目をほどこしたのだった。ただしチームの成績は、前年同様、8球団中7位にとどまる。
役目を果たしたグリーンバーグが去ったあとも、カイナーの打棒は爆発しつづけた。'49年には54本塁打。当時のナ・リーグ記録(ハック・ウィルソンの56本)更新こそならなかったが、50本塁打を2度以上記録した打者は、ナ・リーグ史上彼が第1号だった。
カイナーは観客動員増にも貢献した。'46年に比べて'47年の本拠地観客数は約2倍にのぼった。'50年、カイナーの年俸はナ・リーグ最高の6万5000ドルに達した。そうなると生活も変わる。パイレーツの株主だったビング・クロスビーは、ハリウッドで彼を連れまわした。「首位打者はフォードに乗るが、ホームラン打者はキャディラックに乗る」とカイナーが吠えたのもこのころのことだ。