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上原浩治の“出来すぎた”1年間。
38歳の男を支える、等身大の反骨心。 

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菊地慶剛

菊地慶剛Yoshitaka Kikuchi

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photograph byGetty Images

posted2013/11/10 08:01

上原浩治の“出来すぎた”1年間。38歳の男を支える、等身大の反骨心。<Number Web> photograph by Getty Images

11月2日に行なわれた優勝パレードでファンの声援に応える上原浩治。今シーズンはSNSなどを通じて、ファンとの交流を図ってきた。

上原に命運を託した、禁じ手の「8回投入」。

 元々ファレル監督は開幕当初は上原の年齢を考慮して1イニング以上の登板にかなり消極的だった。実際、クローザーに指名される前までは、1イニング以上投げたのは6月10日のレイズ戦など2試合だけ。

 ところがシーズン後半に入ると、勝ちパターンの試合で信頼して起用できる中継ぎ陣が上原、田澤、さらに左のクレイグ・ブレスロー投手の3人に限られるようになり、徐々に3人の起用法が変わっていった。

 特に先発投手が早い回で降板した接戦の展開では、3投手をフルに起用せざるを得なくなり、いつしか監督の中では禁じ手だったはずの上原の8回投入が日常化されていった。

 それもすべて2人の会話の中で上原が語った“滅私奉公”の発言に対し、ファレル監督がチームの命運を託したからに他ならない。そして上原は最後まで有言実行してみせたわけだ。

 だが強い信念だけで2011年を上回る73試合(ポストシーズンを含めれば86試合)を投げ、最後まで圧倒的な投球を続けることは不可能だ。

 では今年の成功の秘訣は何だったのか。

本当の意味で“メジャーの中継ぎ”になった上原。

 2010年から上原のコンディショニングを担当する内窪信一郎トレーナーが、専門的な立場から以下のように解説してくれた。

「昨年のオフにトレーニングのメニューを変更したりもしていますが、それ以上に上原さんが中継ぎ投手として投げる環境に慣れたというのが大きかったんだと思います。元々普通に投げられさえすれば力のある投手だったので、それが今シーズンは普通にできる状態になれたんだと思います」

 内窪トレーナーの説明通り、上原投手がメジャーで中継ぎ投手に配置換えされたのは、故障から戻った2010年のシーズン途中からで、前述通り中継ぎとしてフルシーズン投げたのは2011年が初めてだった。

 巨人時代の2007年にフルシーズン抑えをした経験があるとは言え、試合数も移動距離もメジャーとはまったく比較にならない違う環境である。

 つまり“メジャーの中継ぎ投手”として3年目となった今シーズン、上原自身がその環境に慣れ、完全に適応したルーティンが確立できたということなのだ。

 上原も優勝パレードの後に、内窪トレーナーの解説を裏づけてくれる発言をしている。

「キャンプ中や夏場に危ない時があったけれど、そこを上手く乗り切ったので、危なかったらこうしたらいいという自分の中で引き出しができた」

【次ページ】 “出来すぎた”今季の反動を懸念するメディアも。

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