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エースの酷使、サイン伝達騒動……。
熱戦に沸いた甲子園の“影”を考える。 

text by

氏原英明

氏原英明Hideaki Ujihara

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photograph byHideki Sugiyama

posted2013/08/25 08:01

エースの酷使、サイン伝達騒動……。熱戦に沸いた甲子園の“影”を考える。<Number Web> photograph by Hideki Sugiyama

2点差の9回に足をつり、審判員の助けを借りてベンチへ下がる常総学院の飯田。彼のような事態を減らすためにも、高校野球の“美学”について今一度考え直す必要があるだろう。

サイン伝達はテストのカンニングと同じ。

 サイン伝達の報道が流れた時、「卑怯だ」という否定論だけではなく、肯定論が出ていた。その多くは「頭を使ってやるのも野球」「サインを盗まれる方が悪い」という意見だった。

 だが、ルールを無視した野球が「戦略としての行為」として正式に認められてしまうのであれば、それはスポーツとしての尊厳を少なからず損なうのではないか。そして、勝ち負けにかかわる意見以上に意識して欲しいのは、甲子園は高校生の舞台であるという点だ。

 高校生の健全な育成というものを考えた時、試合の勝ち負け以上の部分で考えるべきことがあるのではないだろうか。

「勝つためなら、反則も含めて手段を選ばない」という発想は、これからの未来を担う若者に強い影響を与えるだろう。

 高校野球の監督や指導者は教員の立場の人が多いと思うが、サイン伝達は、いわば学校でのテストのカンニングと似たようなものだろう。カンニングをしている生徒を見た時に、どういう指導をするのか。カンニングをしてまで高得点を取ろうとする生徒を咎められなくなったら、教員として生徒の前に立つ資格はないはずである。

指導者の多くが勝利至上主義になっていないか?

 投手の起用に関しても、サイン伝達の横行にしても、この2つの問題に共通するのは、指導者自身が「勝利」というものに完全に捉われてしまっているというところだろう。

 勝利を目指すことは正しいことだが、「勝利至上主義」ということになると必ず采配面で問題が起きてくる。

 そもそもこの全国大会は、これまで鍛え上げてきた力量を「試し合う」場だ。この場をたたき台にして、未成熟な高校生が大人の世界へと巣立っていくためにある。

 甲子園は、高校球児がこの先の長い人生を強く生きて行くための、まだ第一歩目なのだ。

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