野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
サザンオールスターズと山本昌──。
茅ヶ崎が生んだ奇跡のおじさん達。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph byNaoya Sanuki/JIJI
posted2013/07/01 11:00
茅ヶ崎市民栄誉賞の歴代受賞者には、山本昌以外には、俳優の加山雄三、宇宙飛行士の野口聡一と土井隆雄、テニスの杉山愛らがいる。
息が長すぎるサザンと昌さんは日本が生んだ奇跡である。
しかし、考えてみると、サザンオールスターズのデビューが1978年。山本昌が日大藤沢高校から中日ドラゴンズに入団したのが1984年。30年間、この両者が音楽界と野球界の第一線で頑張り続けているのは、ちょっとした奇跡のようにも思えてくる。
「サザンオールスターズの桑田佳祐と山本昌。同じ茅ヶ崎市出身者の2人には直接的な交わりはないようですが、いくつかの共通点もあります。有名なものでは、山本昌が以前バッターボックスに入る際の出囃子に、サザン4thアルバム『ステレオ太陽族』に収録されている『My Foreplay Music』を使っていたこともありますし、桑田もライブパフォーマンスで山本昌独特のセットモーションを披露したことは周知の事実です」
そう言うのは、1978年12月23日に愛知県勤労会館で桑田佳祐を初見して以来のサザンファンにして、'07年に雑誌の企画で「1年間で125キロを投げられるようになる」と山本昌に弟子入りしたこともある、なんとも奇特な経験をお持ちの名古屋在住スポーツライター・竹内茂喜さん。
「昭和」の2文字が世界が違うふたりを結びつける。
「彼らの共通性を語る時、やはり『昭和』の二文字を外すことはできないでしょうね。フォークの杉下茂、ポップスの筒美京平という不世出の神様2人が賞賛したサウスポーとポップスシンガー。
パンチパーマの居並ぶバッターどもと飛ぶボールなど当たり前の時代。それにプラスして両翼91.4mという超クソ狭いナゴヤ球場で揉まれた昌。この時代の経験が今も貴重な経験となり、大胆なピッチングの根源につながっているのは間違いないでしょう。
片や桑田のケイちゃん。幼少時から姉の影響で溢れんばかり耳に飛び込んできた洋楽の数々、そして和製ポップス。古くはコニー・フランシス、ビーチ・ボーイズ、レイ・チャールズ、ビートルズを聴き漁り、クラプトンに恋をした。そしてクレイジーキャッツにときめき、弘田三枝子やミーナに酔いしれ、前川清に憧れた青春時代。この100%フレッシュポップスをリアルタイムで味わった桑田だからこそ、今なお多くの人に愛される作品が湧き出る泉の如く生まれるのでしょう。
昭和野球を味わったからこそ得た投球術。昭和歌謡を体験したからこそ生まれるメロディー。素人がちょいと味わっただけで真似できる代物ではない。昭和とはそれだけ偉大であり、基礎ともいえるものがたくさんあったのでしょう。いとも簡単にコピーができあがるデジタルものではなく、ひとつとして同じものができあがらないアナログな2人だからこそ今でも多くの人々の心を掴むのです」