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<HONDA Method> ソルティーロが本田圭佑を超える日 連載第3回 「“逆境先攻型”で道を切り拓く」
text by
榎森亮太Ryota Emori
photograph byHONDA ESTILO
posted2013/05/04 08:00
これまでは関西を中心に活動してきたが、遂に東京に進出。
本田から課された突然のミッションとは。
「東京でも新しくスクールを展開したいから、エモ、行ってくれないか?」
昨年12月、それは本田圭佑からの突然の提案でした。
その2カ月前に大阪で引っ越したばかりの僕は内心「エッ!?」と思いましたが、本田のビジョンを聞いているうちに、気づいたら「よし、行こう」と即答していた……。
僕と本田の人生に対する共通のスタンスは「逆境先攻型」。あれこれと言い訳を考える前に、まずは厳しい環境、難しい状況に自分の身を置いて、チャレンジしてみる。
プライバシーのない上海申花での1年間で鍛えられた精神面。
自分で言うのもおこがましいのですが、僕は「ストレス耐久度」という点では多少、自信を持っています。そのベースとなっているのが、中国の上海申花というクラブでプレーした1年間。当時ユースチームに所属していた19歳の僕は、2段ベッドの8人部屋、鍵なしトイレというプライバシーゼロ環境の中で中国人と共同生活をした。時に、日中の歴史的背景を逆手にとって、ピストルを撃つ真似で揶揄されたこともあります。でも、決して弱腰にならず、中国語を必死に勉強して、彼らと戦い抜いた。さらに、誰よりも練習をして、最後には自分を認めさせ、理解し合うことも出来たという自負がある。
そんな経験を知っているからか、本田は「エモには何を言っても大丈夫。どこでも生きていける」と思ってくれているようです。
そうポジティブに解釈した僕は、大阪の新居を引き払い、今年の2月から東京都清瀬市に移り住むことになりました。
人生初の東京暮らしながら、6月の清瀬校開校までこぎ着けた。
課されたミッションは、清瀬市でソルティーロの東京スクール第1号を誕生させろ! こう書くと、一言で済んでしまいますが、人生初の東京暮らしとなった僕としては、“東京の水”に慣れ、新たな人脈を築いていくことから始めなければなりません。
そんな中で清瀬文化スポーツ事業団と交渉を重ね、照明付き、人工芝のフルコートを備えた内山運動公園サッカー場を使用させていただけることになったのです。手続き上、難しい問題もあったのですが、清瀬文化スポーツ事業団とソルティーロの共同経営という形で契約を結び、東京スクール第1号「清瀬校」を6月から開校することになりました。