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「二刀流」ではなく野手一本で――。
雄平は不振のヤクルトを救えるか? 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

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photograph byNanae Suzuki

posted2013/04/17 12:15

「二刀流」ではなく野手一本で――。雄平は不振のヤクルトを救えるか?<Number Web> photograph by Nanae Suzuki

3月31日、プロ初登板の阪神・藤浪からホームランを放った雄平(右)。投手時代の2005年以来のプロ2号、2010年の打者転向後、初のアーチとなった。

1年目から、投手として最低限の結果を出してきたが……。

 プロの世界には投手として入った。

 東北高校時代から最速151キロの速球が魅力とされていたサウスポーは、2002年のドラフト1位でヤクルトに入団。プロ1年目から先発として5勝。2年目、3年目ともに4勝を挙げ、高卒投手としては着実にステップアップしていた。

 ただ、同時に欠点も常に指摘されていた。

 制球力。力のある速球を投げられてもコーナーワークが雑だったのだ。'06年から中継ぎが主戦場となり、'07年にはチーム最多の52試合に登板するなど最低限の結果は残した。しかし、防御率はといえば毎年のように4、5点台を推移。制球力を高めるためフォームチェンジを何度も試みたが成果は現れなかった。

 このようなケースに陥ったほとんどのピッチャーは、投手としての最良の道を模索し続けるものだが、雄平は違っていた。

 '09年、彼はバットで勝負することを決意したのだ。

「二刀流」を提案されても、「野手一本でやらせてください」。

 高校通算37本塁打と、元来、打撃でも非凡なセンスを持ち合わせている選手ではあった。

 しかし、プロ入りしてから7年間のブランクはそう易々と埋められるものでもなく、雄平自身、「打撃の感覚が遠のいていた」と言い、とにかく無心でバットを振り続けたそうだ。

 その、臥薪嘗胆とも言える日々は、次第に結果となって表れる。

 ファームながら'10年に打率2割8分3厘、'11年にはチームトップの3割3分をマーク。昨季は終盤に一軍に昇格し1番を任され、47試合で2割8分とアピールに成功した今、野手に強いこだわりを見せている。

 昨年オフに小川監督から外野とワンポイントリリーフの「二刀流」を提案されても、「野手一本でやらせてください」と断った。

 日本ハムの大谷翔平がそうであるように、二刀流に挑戦すれば注目される。しかし雄平は、投手、野手両方での苦悩を知るからこそ、安易に進むべき道を変えることはない。

【次ページ】 「走攻守、全てにおいてレベルアップをしていかないと」

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