甲子園の風BACK NUMBER
地方強豪が全国の強豪になるには?
聖光学院で考える甲子園ベスト8の壁。
text by
田口元義Genki Taguchi
photograph byKyodo News
posted2013/04/03 10:30
スタンドに礼をした後、引き上げる聖光ナインたち。約4年間、県内公式戦負け無しの誇りと責任をもって、夏の大会で再びベスト8の壁に挑んでほしい。
たった3点ではある。
しかし、この3点にこそ、聖光学院の新たな可能性が秘められていた。
敦賀気比との準々決勝。0対9と大量リードを許した8回だった。
1死一塁から1番・八百板飛馬の二塁打で二、三塁とチャンスを広げると、2死後、3番・園部聡の2点タイムリー二塁打、4番・佐藤昌平のレフト前安打で一挙3点を奪う。
試合には3対9で敗れたが、斎藤智也監督は試合後、8回の攻撃を称え、このように試合を振り返った。
「『お前たちは打てないよ』とずっと煽ってきたことで、選手たちも意気に感じてくれていました。ワンサイドゲームになってしまいましたし、力の無さを感じましたけど、8回に3点を取ることができましたから。(敗色濃厚の展開を)精神力でカバーしながら我慢強く、粘り強く戦ってくれました」
盗塁やバントで相手を揺さぶりながら、着実に1点を積み重ねる――。これまでの聖光学院であれば機動力野球を身上とし、大量リードされている試合でも1点を確実に取りに行くケースが少なくなかった。
それが、敦賀気比戦では0対9から強攻策に打って出たのだ。
小技を駆使する以前のスタイルは“弱者の兵法”だった。
負けを確信しての作戦ではない。チャンスの場面で上位打線に回ってきた巡り合わせもあっただろうが、このような場面で強打を展開したのは、春夏合わせて12回の甲子園で得た教訓があったからだ。
明豊に0対20と大敗を喫し、屈辱を味わった初出場の'01年夏。斎藤監督いわく、「あの頃は、まだ弱かった」という。
だからこそ、打順に関係なく送りバントや盗塁、ヒットエンドラン、スクイズなど小技を駆使して確実に1点を取る野球を確立する必要があったのだ。
斎藤監督は、その理由についてこう話してくれたことがある。
「選手の力がないなかでも甲子園に連れて行ってやりたい。だから、1点に対するこだわりを大事にしていく必要があった。あの時代の野球は正しいと自信を持って言えるよ」
1点にこだわる野球は、'04年夏、'07年夏にベスト16という成果を生み、聖光学院の名を全国区にまで押し上げるなど結実する。