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日本人にとって、W杯とはいったい何なのか。~指揮官・岡田武史に問う~
text by
木崎伸也Shinya Kizaki
photograph byKaoru Watanabe(JMPA)
posted2010/07/15 06:00
日本人選手のプレーが「日本人のイメージ」を作る。
日本人にとって、W杯とはいったい何なのか――。
まだ4回しか出場したことがない日本にとって、今大会は勝ち点を一つでも多く取ることに意義がある大会だった。内容より、はるかに結果の方が大事であっただろう。筆者もそれをわかっているつもり、だった。
だが、カメルーン戦の試合終了のホイッスルが鳴ったとき、こぶしを握りしめるとともに、何か不安のようなものも込み上げてきた。せっかくのW杯という大舞台で、相手の良さを消すことばかりに労力を割くチームを、世界はどう思うのだろうか、と。
嫌な予感は的中した。
日本にとっては「慎重」な手堅いサッカーでも、第三者にはただの「臆病」なサッカーに映ってしまう。ドイツの国営放送の中継では、解説者のギュンター・ネッツァーから「あまりにレベルが低くて眼を疑った」と罵倒された。
一度でもヨーロッパのサッカー大国に住んだことがある人間なら、わかるだろう。日本人選手が勝負から逃げるようなプレーをすると、日本人そのもののイメージが傷ついてしまうということを。
ミュンヘンで寿司屋を経営する日本人オーナーが、憤慨していたことがあった。
「ブンデスリーガでプレーする日本人選手は、ドイツに住む日本人全員のイメージを背負っていることをわかっているんだろうか? お願いだから、腰が引けたプレーだけはしてほしくない」
「低きに流れる」サッカーを選択したパラグアイ戦。
6年間ドイツに住んでいた筆者も、同じような経験がある。ハンブルガーSVで高原直泰がプレーしていたときのことだ。高原がゴールを決めると、サポーターから優しい声をかけてもらえる。だが、チャンスを外し続けたとき、心無いサポーターから「シャイセ」(くそったれ)と中指を立てられてしまった。
では、W杯でプレーする日本代表が、世界中の日本人のイメージを背負っているとしたら? ベスト8をかけたパラグアイ戦でも、岡田監督は最終的に自陣でブロックを作り、相手がミスするのを待つ守備的なサッカーを選択した。「我慢」と「献身」に満ちた日本サッカーのひとつのカタチとも言えるのだが、そういう良さが自分たちの武器を際立たせるために使われるのではなく、主に相手の良さを消すために使われた。
ある意味「低きに流れる」サッカーである。
それはプレーしている選手たちが、一番よくわかっていたはずだ。