Number Do MoreBACK NUMBER
<初マラソン特別寄稿> 角田光代 「それでもとにかく走るのだ」~直木賞作家の東京マラソン体験記~
text by
角田光代Mitsuyo Kakuta
photograph byAtsushi Kondo
posted2013/02/22 06:01
走っても走ってもあらわれない「東京ビッグサイト」。
東雲を過ぎ有明の標識が見えてくると、40km地点である。あと2km、という旗を持った人もいるし、あともうちょっと、と沿道の人々も叫んでいる。あと2km走れば終わる、本当に終わる、もう走らなくていい、と思い、一刻も早く終わらせたくなって、ほんの少しペースを上げようとして、急に脚に疲れがきた。そんなはずはないのに、太ももと太ももがバシンバシンとぶつかって、前に進めていない感覚を味わう。脚が倍の太さにふくれあがっている感じだ。
でも、でも、脚が2倍になろうと太ももが腫れ上がろうと、とにかくゴールにいかなくちゃ、終わらないのだ。しかし、幾度も標識に登場する「東京ビッグサイト」が、走っても走ってもあらわれない。角を曲がってその先にゴールがないと、心底がっかりする。なんか距離をだましていないかと、だれかを疑いたくなる。もうひとつ角を曲がって、左右に階段状の観客席があり、その先にようやくフィニッシュと書かれたアーチが見えたときは、「ああもう走らなくていい!」と、達成感より何より安堵を覚えた。
信じがたきタイムをしみじみと噛みしめ、そしてまた複雑な気持ちに。
私の前を走っていた数人は、ゴールを踏むとき、両手を挙げて輝かしく万歳をしていた。私はそれらをまぶしく眺めつつ、とてもそんな気力はなく、「ああもう走らなくていい、歩いていい」と思いながらゴールを踏み、ようやくスピードを落として、歩いた。ああ、歩いていい、歩いてもいい! それだけがうれしかった。
私のネットタイムは4時間43分45秒。自分で想像していたより、うんと速い。しかしそんなことより何より、5時間近く、いっときも立ち止まらず、いっときも歩かず、走り通したことが自分でも信じられない。よくそんなことをやったものだと思う。こんなに走るのが好きではないのに。そしてちょっと自分で自分をえらいと思ったのは、5kmごとのラップタイムがまったく変わらなかったこと。30km台が34分だが、あとはすべて33分台。これは単純に、うれしかった。自分の内の、不安や、焦りや、闘争心に、勝ったという証拠だもの。
その、信じがたきタイムをしみじみと噛みしめ、そして私はまた複雑な気持ちになる。トイレもいかず、バナナもチョコレートももらわず、歩きもせずに走ってそのタイム、ということは、もし次回、一度でもトイレにいったら、一度でもバナナを食べたら、一度でも歩いたら、それより確実に遅くなるということではないか。私は永遠に、この初フルタイムと闘わなければならないではないか。そしてまたしても暗い気持ちになったのだが、しかし、あれれ、「次回」と考えているということは、また走る気なのか、私。
つくづく謎のスポーツである。
◇ ◇ ◇
◆角田光代さんへのQ&A
Q1 走りはじめたきっかけは?
友人のラン後飲み会に混じりたくて。
Q2 どのくらいの頻度で走っていますか?
週2回。土日に走っています。
Q3 走ることで変わったことは?
風邪をひかなくなりました。
Q4 愛用のランニングシューズは?
知人に薦められたミズノ。
Q5 走るときに聴く音楽は?
サンボマスター、andymoriなど。
Q6 今までのベストタイムは?
4時間43分(今回のタイムです)。
Q7 今後の目標は?
またフルマラソンを走ること。
角田光代(Mitsuyo Kakuta)
1967年3月8日、神奈川県生まれ。'90年「幸福な遊戯」で作家デビュー。代表作に『対岸の彼女』『八日目の蝉』など。ランニングの他にも、9年前からスポーツジムに通い続け、さらにはボクシングジムにも通うという、意外な(?)スポーツ好き。お肉とお酒も大好き。近著に『空の拳』など。