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<初マラソン特別寄稿> 角田光代 「それでもとにかく走るのだ」~直木賞作家の東京マラソン体験記~
text by
角田光代Mitsuyo Kakuta
photograph byAtsushi Kondo
posted2013/02/22 06:01
毎週走っている作家がフルに初挑戦。
共感と笑いを生む体験記の結末とは。
2月24日の東京マラソン2013を前に、
Number Do「ランニング特集 第2弾 100人が語るRUN!」より、
特別公開です!
最初に断言するが、私は走ることが好きではない。友人が会長を務めるランニングチームに属してはいるが、彼らのラン後飲み会に混じりたくて入ったにすぎない。そもそもこのチームの主な活動は飲み会である。
チームに入って5年、駅伝(5km)に一度、大会(10km、ハーフの部)に一度ずつエントリーし、いつかそのうちフル、と思いつつ、ずっと避けていた。「いつか」なんて10年先でいいと思っていた。それでもこの5年、週末は必ず、雨さえ降らなければ10kmから20kmの距離を私は走っている。たのしいから走っているのではない。いやいや走っている。なぜいやいやながら走るかといえば、一回休めば、翌週も休みたくなるに決まっており、翌週もサボれば、その先ずっとサボるに決まっているからだ。つまり、一回休むということは、私にとってチームを辞めることを意味するのだし、それはつまり、この先一生走らないことをも意味する。
そんなにいやなことを毎週毎週、5年間も続けていると言うと、人は衝撃を受けるようである。そんなにいやなことがなぜ続けられるのか、と。走るのは好きではないが、しかし、ひとつだけ、びっくりしていることがある。それは「できるようになる」ということ。走りはじめた5年前、私は3kmまで走るのが限界だった。けれど今では20kmを走ることができる。続けられるのは、この驚きの故だろうと思う。
新聞連載の依頼よりも深刻に悩んだ、東京マラソン出場のオファー。
10年先でいいと思っていた「いつか」は案外早くやってきた。ある雑誌(この雑誌だ) の編集部から連絡があり、東京マラソンを走ってみませんか、と言うのである。
悩んだ。新聞連載を一年間引き受けるか否かよりも、もっと深刻に悩んだ。3日ほど悩んで結局、「やります」と答えた。理由は、今やらなければ、もしかして10年先もやらないかもしれない、と思ったこと。
それが昨年12月なかば。以後、東京マラソン一カ月前まで、なんの準備もしなかった。一カ月前から私がした「準備」は、ランニング指導員でもある整体師の方が開いているクリニックに、外反母趾用のテーピングを習いにいき、そこで外反母趾でも長距離ランに耐えうるようにシューズを加工してもらったこと。それからこの院長の教えの通り、一カ月前に一度だけ4時間と少し、距離にして35km走ったこと(本当は4時間半走れと言われたのに、ズルをしたのだ)。あとは当日一週間前のカーボ・ローディング(4日間炭水化物を抜き、当日までの3日、炭水化物ばかり食べる)。それだけである。体重を2㎏落としたかったが、無理だった。