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阪神の反省は本物だったのか!?
西岡、福留へ無暗に殺到した批判。
text by
氏原英明Hideaki Ujihara
photograph byKyodo News
posted2013/01/15 10:30
松の内も明けやらぬ1月5日に入団記者会見をした福留と和田監督。「(大阪のPL学園や社会人野球の日本生命でも)プレーしたことがある関西なので、すんなり入っていけると思いました。(中略)福留が入ってマイナスになったと言われないように頑張ります!」とコメントした福留。
高額補強の相次ぐ失敗で、阪神は何を学んだのか?
当時、やり玉に挙がったのはメジャー帰りで2010年に加入した城島とFAで'11年に入団した小林宏だった。
ともに、日本一を経験した二人の加入は、その経験をもとに、チームをけん引すると期待されていた。しかし、城島は1年目こそチームを引っ張ったが、相次ぐ故障の影響もあって年俸に対する貢献をしたとは言い難く、小林宏もさしたる成績を残せないまま、二軍生活が続いた。
この2例を清算せずして、なぜ、この補強があり得るのか。
世間の懐疑的な視線や虎党の鬱憤は、西岡や福留個人にあるのではなく、そこに根本的な原因があるのではないだろうか。
城島と小林宏の獲得に喜んだその裏で、阪神が失ったもの。
筆者は2010年シーズン前のコラムで、城島の獲得について「2つの作用がある」と書いた。
城島の加入は、右の強打者が少ない阪神の大きな戦力になる。しかしその一方で、当時「ポスト矢野」として頭角を現していた捕手の狩野恵輔ら若手がはじき出されるという構図も生まれた。こういったベテランの補強の繰り返しは、世代交代が急がれる阪神のファームに、特に悪い影響を与えるのではないかと投げかけたものだった。
ひとつめが作用したのは1年目のみで、結局、若手の台頭が他球団より遅れている今の現状を見れば、城島の獲得が悪い方に作用したというのは否定できないだろう。
城島や小林宏の一件が大きな問題として禍根を残したのは、彼らの加入が、ただ獲得費用がかかったことだけに留まらなかったことにある。
城島については先述のとおりだが、小林宏の場合は、目に見える形で損失を被っている。
記憶しているファンも多いだろうが、小林宏をFAで獲得した際、その代償として阪神は'07年高校生ドラフト1位の高濱卓也を人的補償として、千葉ロッテに譲渡しているのである。
'07年のドラフトといえば、阪神は中田翔(日ハム)を1位指名した年だ。高濱はくじ引きで外れた指名だったとはいえ、中田並みの活躍を期待された大事なドラ1選手だったのだ。
当時の高濱は'10年の春季キャンプ、オープン戦ともに好調で、レギュラー陣を脅かすほどの勢いもあった。高校1年春から名門・横浜高でレギュラーを獲得し、2年春のセンバツ大会で全国制覇。その才能が、まさに開きそうな矢先の、突然の移籍だった。