野次馬ライトスタンドBACK NUMBER
“横浜捕手暗黒時代”最後の希望、
高城俊人が谷繁に教えを請う日々。
text by
村瀬秀信Hidenobu Murase
photograph by(C)YOKOHAMA DeNA BAYSTARS
posted2013/01/18 10:30
谷繁と並んで黙々とキャッチボールをこなす高城。谷繁の自主トレは、自宅のある神奈川県で行われており、その門戸を多くの選手達に開いているという。
今さら改めてぐちぐちと言うこともないのだが、ベイスターズの暗黒時代は、そのまま正捕手不在の時代であったと言い換えられる。
そして、その原因について考察するならば、捕手領域における谷繁成分の枯渇、谷繁イズムとの断絶というものが、現在まで繋がる正捕手問題に暗い影を落としている。
ディフェンスの中心となる正捕手。それを流出させてしまうという、開けてはならないパンドラ……ならぬ谷繁の箱。思い起こせば2001年オフ、FAでのメジャー移籍を志した谷繁を、あっさりと中日に流出させるという箱の大解放をしたことで、その後のベイスターズは捕手面におけるありとあらゆる災厄を受けることになった。
それは谷繁だけに留まらず、連続最下位の初年度となる'08年6月には、第2捕手の鶴岡一成を気前よく同一リーグの巨人に放出するという大失態をやらかす。そして、翌年には谷繁から捕手としての薫陶を受け育った正捕手・相川までFAでヤクルトへ流出させてしまうのである。これで、中日谷繁、ヤクルト相川、阿部ファースト時の巨人鶴岡と、同一リーグ5球団中3球団が元横浜で固められるというベイスターズ低迷の象徴的な珍現象を生んだ。
谷繁を失ったベイスターズに降りかかった最下位の呪い。
相川・鶴岡を失ったベイスターズの正捕手候補には谷繁を知らない世代、武山真吾、細山田武史、黒羽根利規らが名乗りを挙げるも、経験不足の若い身空には加速度的に落下していくチーム状況に抗うことができず。ならばと球団は野口寿浩、橋本将らFA組を場当たり的に獲得し、訝しがるファンを余所に「正捕手問題解決」と喧伝したが、そんな話は誰も信じることはなく、どちらも結果が出ないと早々に不良債権のレッテルを貼られてポイ。実力者として名を馳せた野口、橋本両名はキャリアの最後を汚す不幸な形でチームを去ることとなり、昨年オフには、ついにこの4年間で最もマスクを被った武山を西武へ放出と災厄はどこまでも続いた。
'12年、DeNAベイスターズとして生まれ変わった初年度も、武山に次いでマスクを被った細山田が二軍へ幽閉。開幕マスクを被った黒羽根もシーズン途中に二軍落ち。巨人から帰ってきた鶴岡もかつての精彩を欠くなど、引き続き正捕手は定まらなかった。
一方で、ドラゴンズに移籍した谷繁はその後、4回のリーグ制覇を含む11年連続Aクラスに貢献するなど、球界No.1捕手の地位を確固たるものにしていく。谷繁を放出した後のベイスターズといえば、11年で9度の最下位。この悔やんでも悔やみきれない事実に、何度ベイスターズ関係者から「谷繁さんがいてくれたら……」という歯ぎしりを聞いただろうか。
やはり、それは決して開けてはならない、谷繁の箱だった。