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東京ではないようでやはり東京。
青梅に福生、下り坂ポタリング。 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2012/12/31 08:00

東京ではないようでやはり東京。青梅に福生、下り坂ポタリング。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

青梅のレトロなバス停の前で、今回の輪行のお供となった愛車BD-1をパチリ。2013年も、この調子で全国を自転車で走り回る予定ですので、ヨロシク!

 青梅は昭和の町だ。

 別に町の見た目や印象だけでいっているわけじゃなく、青梅市自体が「昭和の町」を売り物にしている。

【写真上】 青梅の街角のあちこちに見られるレトロ調の看板。
【写真中】 こういう風情の町の写真館が、昔は日本全国どんな町にもあった。
【写真下】 都市計画が進んだ都心ではお目にかかれなくなった細い路地もまだ残る。

 有名な映画の看板(後述)もそうだが、JR青梅線の青梅駅に着くとホームの意匠がすでに昭和。「青梅駅」という看板がワザとのように(ワザとです)古くさい。立ち食いそば屋もやり過ぎ(もちろんワザとです)なほどに「昭和テイスト」。

 というわけで、東京の端っこ青梅だ。

 ここは東京都の端っこというだけじゃなくて、関東平野の端っこでもありましてね。小学生の頃に教科書で習いませんでした? 社会(地理)じゃなくて、理科。扇状地というヤツだ。多摩川が山地から平野に出る際に三角形のデルタ地帯ができる。その典型が目の前の三角形の町、青梅なのだ。

 駅前で自転車を組み立てていると、風景がどこか懐かしい。懐かしいのは「町が昭和」だから、というばかりじゃない。山が目の前に迫っているからだ。地平線にきちんと山がある。ここは東京都だけれど、風景の基本が「日本の地方」なのである。

 自転車で街区を走り出してみると、噂通り、町中に古い映画の看板が数限りなく掲げられている。「哀愁」あり、「バスストップ」あり、寅さんあり。ペンキ絵のヴィヴィアン・リーが哀愁してるし、モンローがセクシーしてる。渥美清は絵に描いたように昭和……、って、ほんとに絵に描いてあるんだから。

 でも、それだけじゃないのだ。青梅という町、もちろん市をあげて観光のためにレトロ化に取り組んでいるんだけど、商店街からちょっと路地に入ると、ほんと、息が止まるほどに懐かしい風景に出会えたりする。

 写真館がある。軒先のガラス窓の中に、この町の人の結婚式の写真が飾ってある。お豆腐屋さんがある。目の前で豆腐を手作りして、その場で売っている。

 お人形屋さんが二店並んでいる。季節物の羽子板が所狭しと並んでいる。そのほか「靴屋さん」があって、「油屋さん」があって、もちろん「自転車屋さん」があって、と、とにかく専門店が専門店のまま、ここに並んでいるのだ。おまけに路地が狭い。

 うーむ、東京でありながら、東京でないような町。そこにはちょっとした理由がある。

「すんでのところでバブルに巻き込まれるところだった」町・青梅。

 私が注目するのは、駅前や街道筋にちょびちょびっと建つ、いくつかのマンションだ。いずれも'80年代後期から、'90年代にかけて建った。

 あのバブル華やかなりし頃、都内のマンション、不動産は、信じられないような高騰を続け、青梅だって“通勤圏”となったものだ。

 普通のサラリーマンにとって、マイホームはもはやこのあたりでしか手が届かない。そう思いきったサラリーマンが買い(その気持ちはよく分かる)、不動産価格は天井なしだと、未来を信じたデベロッパーが建て始めた。青梅はゆくゆく“普通の通勤圏”になるはずだったのだ。

 でも、ご存じの通り、そんな未来はこなかった。狂ったような好景気の余波が、青梅まで及ぼうとしていた、まさにその時に、バブルは弾けたからだ。

 青梅は「すんでのところでバブルに巻き込まれるところだった」町なのだ。だからこそ、青梅には昭和が残った。

 青梅の傷は浅かったのかもしれない。都心では、バブルが街を壊しまくったのだから。今なお残る虫食い状の更地。空っぽのワンルームマンションだらけの地域。そういうことに、青梅はギリギリ無縁でいられたようにみえる。

【次ページ】 鉄道公園で0系新幹線の運転席に座るという至福。

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