自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
東京ではないようでやはり東京。
青梅に福生、下り坂ポタリング。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2012/12/31 08:00
青梅のレトロなバス停の前で、今回の輪行のお供となった愛車BD-1をパチリ。2013年も、この調子で全国を自転車で走り回る予定ですので、ヨロシク!
アメリカンな福生の「限りなく透明に近いブルー」後。
さて、羽村を行きすぎたら、すぐに福生に着いた。
風を気にしなければ(するけど)、青梅発・都心方面の道行きは下り坂基調なんで、こんなに風が強くない日なら、けっこう楽ちんだと思う。
この日にしても、川沿いを離れると、風も収まって、普通にすーっと進んでいく。なんだか自分がちょっと速くなったかのような錯覚すら得られる。ちょっと快感。
福生の市街地が近づくと風景がかなり華やぐ。駅前は、青梅駅前よりもはるかに都会である。適度に店や家屋が集まり、普通にJR中央線の駅っぽいというか、東京近郊な感じ。
でも、それだけじゃない。街の中にちらほらと、英文字が混じり、雰囲気がどことなくバタ臭いというか、アメリカン。それが国道16号線に近づくにつれ、濃くなっていく。もちろんこの街に、米軍・横田基地が存在するからだ。
駅の南口から右手に回り込んで逆出口に出、福生駅を背にするような形で走っていくと、どのコースを通ったって基地にぶつかる。基地がデカいからだ。
沖縄県以外の日本では最大のアメリカ空軍基地。極東唯一の米軍ハブ空港である。それが“ヨコタ・エア・ベース”。米軍将兵3600人、軍属700人、家族4500人、日本人従業員2200人の、合計約1万1000人が、この中で居住するという。基地自体がひとつの町だ。
かつて周囲には、米軍住宅いわゆる「ハウス」ってやつが取り巻いていた。
村上龍氏のデビュー作「限りなく透明に近いブルー」の舞台となったのが、もちろんここ。山田詠美氏、大瀧詠一氏など、数多くのアーティストたちもここにゆるく集まっていた。
日本の中のアメリカ、もしくは、東京に一番近いアメリカが、ここだった。しかも当時、アメリカは調子が悪かったから(“ジャパン・アズ・ナンバーワン”が流行った時代だ)ここは「古き佳き米国」あるいは「頽廃の米国」だった。そういう時代もあったのだ。
それにしても米軍横田基地はデカい。広い。国道16号線をまっすぐに行くと、右も左も米軍基地だ。16号線の広さも含め、たしかにここはアメリカみたい。
もちろん米軍基地というものには、騒音、移転、地位協定など、数々の問題があったりする。共産党の事務所に「基地のない福生を」との看板が掲げられている。でも、尖閣をはじめとして、隣の大国が本物の脅威になってきた今、安保をはじめとする、こうした日米同盟をちょっと頼もしくも感じてしまうのも(私としては)本音のところだよ。
金網の中を覗き込んでみると、基地内のスーパーマーケットがあったりする。そのスーパーの名前が「TOMODACHI」。こういうのをイヤだなと感じる人もいるかもしれないが、すまん、私などはちょっといいなと思う。同盟軍よ、と思う。
立川にある元米軍基地の国営昭和記念公園へ。
さて、ここからまっすぐに16号線を南下すると、すぐに拝島。そこからJR青梅線を右手に見ながら行くと立川だ。上空をモノレールが通り、数々のデパートや銀行がたつ街。「いわゆる東京」に帰ってきた気がする。
一際目立つ大公園、国営昭和記念公園がある。
晩秋になると、テレビ各局が中継する、あの巨大銀杏並木があるところだね。その季節に行くと、もうこの公園は真っ黄っ黄。おまけにとんでもなく広大。
園内にはサイクリングコースもあって、小さいお子さんのいるサイクル野郎たちは、ここでポタポタポタリングというのも悪くない。
実はこの公園もかつて米軍基地だった。昭和52年の全面返還の後に、こうした公園になったのだ。