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<UTMF密着ドキュメント> ウルトラトレイル・マウントフジ体験記~日本一過酷な「旅」の果てに~ 

text by

山田洋

山田洋Hiroshi Yamada

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photograph byMami Yamada

posted2013/04/24 17:10

<UTMF密着ドキュメント> ウルトラトレイル・マウントフジ体験記~日本一過酷な「旅」の果てに~<Number Web> photograph by Mami Yamada

富士山を望む大パノラマが広がっているはずだが……。

 A4(すばしり)までは山中湖の南側に位置する明神山~三国山~大洞山を結ぶハイキングコースとして知られ、富士山を望む大パノラマが広がる。いや、広がっていたことだろう。真っ暗な夜道だったので僕らには大パノラマどころか、ヘッドライトが照らす足下と、つまらない会話しか記憶にない。

「ねぇ、単調で飽きてきたから誰か歌でも歌ってくれない?」「歌いたいけど全然浮かばねぇー」「次の山頂までまだ標高で150mはありますね」「いや、マジで何か歌ってよ! この際、明菜の『難破船』でもいいから」「その曲、いい記憶ないからイヤだ」「山頂に着いてもしばらくアップダウンの繰り返しですね」「ライト消したら星すげぇんじゃね?」(一同ヘッドライトを消す)「うおおぉぉ! めっちゃ綺麗!」「僕ら、なんでこんなことやってるんでしょうね」「バカ、そういうこと言うなよ」「光がないと山の中はホントに真っ暗だ」「今、熊が出てきたらどうする?」「バカ、そういうこと言うなよ」

富士山の勇壮な姿を前に迫る、睡魔という大きな敵。

  

 A4に辿り着いたのは日付が変わった午前1時。スタートして10時間が経過していた。

 一緒だった友人と別れて一人旅に出る。ふじあざみラインの長い坂道を登ると、普段は立ち入れない陸上自衛隊東富士演習場に足を踏み入れた。はずだった。真っ暗でどこからが演習場なのか分からない。写真を撮ってみたけど、ヘッドライトの光源だけを頼りにした薄暗い画像は心霊写真のようだった。

 A5(富士山御殿場口太郎坊)に午前3時半、富士山スカイラインを登り続けた先のA6(水ヶ塚公園)には、夜が明け始めた午前4時半頃に到着。眼前には富士山がデカデカとそびえ立っていたが、そんな勇壮な姿を尻目に僕には大きな敵が迫っていた。そう、睡魔だ。ここまで68kmを走破し、スタートから13時間半、起床からは23時間が経っていた。

 中間地点でもあるA7(こどもの国)までは下り基調だったことも幸いして、1時間ちょっとで駆け抜けた。荷物を整え、食事もして、顔を洗って、歯磨きをして、A7を出発。時計の針は午前7時ちょっと前を指していた。

 深い森の林道の木々を太陽が横から照らし、長い影と木漏れ日が煌めく中を走った。鉄塔の続くゆるやかな尾根道へと切り替わっても走り続けた。心拍数を上げておかないと襲いかかる睡魔に取り込まれそうだったし、何よりA8(西富士中学)で待つサポート隊に早く会いたい。そんな気持ちで走り続け、26kmを3時間ちょっとでクリア。A8到着は午前10時過ぎ。走行距離は102kmになっていた。

【次ページ】 最大の難所を前に、「富士宮焼きそば」で安息の時間。

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