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暑い夏には、都心から逃げよう!
セレブ世田谷、緑の公園巡り60km。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2011/07/23 08:00
茅葺き屋根で風情がある徳富蘆花の旧宅。買い取った家で、「僕の家は出来てまだ十年位比較的新しいものだが、普請はお話にならぬ」と書き残しているが、この地が気に入り、明治40年から没するまでの20年間を過ごした
世田谷で最もワイルドな砧公園。
さて、蘆花公園を出て、再び環八へ。まだ南に走ってみる。
もう暑さでアタマがくらくらしてるんだが、ふと左横を見ると「東京都船橋倉庫」という、古いコンクリートで造られた「いかにも倉庫」というか、倉庫らしい倉庫がある。ここに何が入っているかというと、毛布や避難用テントなど。つまりここは何らかの災害時に都が都民に拠出する物資を貯蔵している場所なのだ。
残念ながら、シャッターにタギング文字(例の落書き専門のアタマの足りなさそうな文字模様)が描かれてしまってるが、こうした施設はこういう太い道路の横にあるのがいい。路地の先にあると、運び出せないし、火事などの危険もあるからだ。
さらに南下すると、次に現れるのが砧公園だ。これまた広い都立公園。なんでも昭和15年の紀元2600年事業として造成された巨大緑地が前身で、昭和32年に開園した。このあたりの公園の中では最もワイルドなテイストを持っている(というのはヒキタの勝手な個人的印象)。
中には有名な世田谷美術館があるんだけど、残念ながら現在は休館中。コレクションには裸の大将・山下清画伯なんかもあるぞ。
“都心のパワースポット”等々力渓谷。
さて環八から目黒通りに折れ曲がる直前、小さな橋が現れ、かんかん照りの下、一瞬だけ、怪しげな暗がりを越える。
これ、クルマで通りすぎたなら、絶対に気づかないと思うんだけど、この暗がりこそが、東京の秘境・等々力渓谷である。
環八の向こう岸に渡ってみると「都史跡・等々力渓谷三号横穴」と小さく書かれた石碑がひっそりとあるから、そこを下に降りていく。
森だ。
「三号横穴」というものの正体はすぐに分かる。確かに横穴があいている。奈良時代にこの地で埋葬された地元有力者の墓なのだそうだ。
その遺跡を左手にして、土と木の階段をさらに降りていくと、鬱蒼とした木々の下、道路の喧噪が次第に消えていく。
道路の喧噪がほぼ聞こえなくなり、シンとした森の風景の中、鳥の声やせせらぎの音ばかりが聞こえるようになったら、そこが等々力渓谷だ。
谷沢川が玉川に合流する、わずか1km前後、河岸段丘が浸食されて渓谷となった。
昭和8年に国から「風致公園」の指定を受け、その後、こうして現代にいたるわけだが、いやもう森の深さよ。渓谷ゆえ土地利用が難しく、放ったらかしになった。結果、ここだけ、手つかずのまま自然が残り、このような都会の奇跡となったわけだ。
本当はそれほど森が深いというわけではないんだけれど、矢沢川の畔に立っていると、渓谷の下から上を見上げる形になるんで、何やら遠い山国の森の底に佇んでいる気になってくる。
でも、ここは東京なのだ。
あんなにじりじりと照りつけてきた太陽も木々の上。木陰には涼しい風が通り抜けていく。
川沿いに西側に歩いて行こう。見えてくるのは、まず稚児大師さま。弘法大師が稚児だった頃に手を合わせているお姿で、ありがたい銅像なんだそうだ。
さらに森の奥に歩いて行くと、今度は稲荷大明神の祠があり、その横の湧き水が小さな滝となっている。龍が水を吐くという形で二筋。その真ん中に不動明王が立っている。
ここ、実は昨今流行りの「パワースポット」というヤツだそうで、若い女性たちがチラホラといたりする。私はいつも思うのだけれど、こういうパワースポットとかが好きな女性って、何か独特のスタイルがあるよね。地味なんだけど、変なコダワリがあるというか、たとえばファッションで言うなら、普通の服でありながら、細部がちょっと普通でないというか、うーん、うまく言えないんだけれど「オリジナルという名の共通テイスト」がある。
いや、そんなに否定的な意味でなく、そういう女の子たち、私はけっこう好きよ。