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暑い夏には、都心から逃げよう!
セレブ世田谷、緑の公園巡り60km。 

text by

疋田智

疋田智Satoshi Hikita

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photograph bySatoshi Hikita

posted2011/07/23 08:00

暑い夏には、都心から逃げよう!セレブ世田谷、緑の公園巡り60km。<Number Web> photograph by Satoshi Hikita

茅葺き屋根で風情がある徳富蘆花の旧宅。買い取った家で、「僕の家は出来てまだ十年位比較的新しいものだが、普請はお話にならぬ」と書き残しているが、この地が気に入り、明治40年から没するまでの20年間を過ごした

乗用車のガソリンに300%程度の税金をかけるべき。

 駒沢から246号線をちょっと戻って、東京環状7号線、通称環七(かんなな)を北上してみる。まっすぐまっすぐ環七を走り、甲州街道に出たら、そこを左折だ。

 ちょっとホッとする。

 なぜならば、環七という道路は、もうホントに自転車で走りにくいからだ。環六(山手通り)環八(かんぱち)もそうだが、このあたりの南北ラインはいずれも路肩が極端に狭く(というのか、無く)、車線の一本一本が狭い。そこに大勢のクルマが流れ込み、あからさまな危険通りとなっているのだ。

 何とかして欲しいとは思うが、この国の行政に「何とかしてくれ」というと、必ず、車道はそのままに歩道上に自転車レーンを、という、およそ馬鹿馬鹿しいことになるので、言わない方がマシだったりもする。

 自転車のことを何ら考えたことのない役人が、お為ごかしにする政策が、良い方向に向かうわけがないのだ。自転車に限らず、どのジャンルでも同じ話である。

 というわけで、環七は、自転車にとってチョー危険なまま、クルマだけは優遇され、今日もとんでもない量の排気ガスをまき散らかしている。上空から見ると「環七雲」というものが常に存在するくらいに。早いところ乗用車のガソリンに300%程度の税金をかけるべきであろう。

 というわけで、甲州街道はじめ東西ラインは幾分マシである。路肩はあるし、車線も広い。

 京王線の駅名にもなっている“明大前”を通る。

 明治大学和泉キャンパスの横には築地本願寺の和田堀廟所、すなわち墓地があって、割合広い緑地帯となっている。この場所、甲州街道からは木々だけが見えるものだから、私はずうっと明治大学の敷地なんだろうと思っていたんだけれど、違ったのね。

 やがて高井戸陸橋に出る。環八との交差点である。ここを左に曲がる。

 またまた走りにくい東京南北ライン。環八は環七よりマシかというと、じつは環七よりタチが悪い。なぜならクルマのスピードがかなり速めだから。右後ろからやってくるクルマからは「自転車どけどけ」のオーラすら感じられる。

蘆花公園にて、「かつての文豪はお金持ちだなぁ」。

 いや、暑い。

 どうやら都心であろうがなかろうが、もう昨今の夏の暑さは尋常ではなく、自転車に乗っていて、日差しはじりじりと腕を焼くし、ジーンズ(半ズボンを履いてくるべきだったね)は、汗でごわごわになっている。

 蘆花(芦花)公園も、明大前と同じく京王線の駅名にもなっていて、正式名称を「蘆花恒春園」という。「不如帰」「自然と人生」などで有名な、文豪・徳富蘆花の旧宅が元になった自然公園だ。蘆花の死後、愛子夫人がここに住み、昭和11年に東京市(当時)に寄付された。

 公園内には、蘆花夫妻の墓もある。木陰に佇む自然石の墓碑だ。それにしても、かつての文豪はお金持ちだなぁと思う。ま、これは蘆花に限らずなんだけどね。

 蘆花の兄が、蘇峰。明治大正昭和をまたにかけての、代表的言論人、ジャーナリストである。兄弟はたもとを分かった時代が随分続いたというが、蘆花の死に際して和解。こうして、蘇峰もここに顕彰されている。

【次ページ】 世田谷で最もワイルドな砧公園。

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