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ルールに翻弄されるスキージャンプ。
日の丸飛行隊を蘇らせた最新スーツ。 

text by

茂木宏子

茂木宏子Hiroko Mogi

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photograph byKYODO

posted2010/02/11 08:00

ルールに翻弄されるスキージャンプ。日の丸飛行隊を蘇らせた最新スーツ。<Number Web> photograph by KYODO

1シーズンに何度もマイナーチェンジを繰り返す最近の傾向。

 だが、生地がほぼ統一化されたことにより、各メーカーは規格の範囲ギリギリのところでカッティングや縫製に細かい工夫を凝らして他社と差別化しなければならなくなった。飛ぶための性能はもちろんだがスポーツウエアである以上着心地も重要で、その両方をどうバランスするかがカギになる。究極の1着を追い求めるには頻繁なマイナーチェンジが必要で、常に選手の近くにいて臨機応変にサポートできる国内メーカーでないと、もはや対応できなくなっている。

写真日本チームの五輪用スーツ。全てがオーダーメイドで、細部まで作りが違う

「マイナーチェンジの頻度は益々上がっているので、今やトップ選手は、ワールドカップで6試合ぐらい使うと新しいスーツに替えています。オーストリアの強豪選手などは毎回違うスーツを着ているほどです。日本選手も開幕から五輪前までに4着目を使い切り、五輪用に2着、ワールドカップの後半用にも新たにつくる予定です。1人の選手に対して1シーズンに6~7着は提供しているんじゃないでしょうか」

 1シーズンに1着なんて時代はもう昔の話なのだ。トップ選手が使用する完全フルオーダーのジャンプスーツは、十数万円を下らない。それを6~7着……である。

 工場で縫製を担当する技術者も、選手ごとに決まっている。縫い手が変わると選手が着たときの感触が変わってしまうからだ。

「同じ設計でカッティングしていても、縫い手が変わると選手は袖を通した瞬間にわかります。“あれ? いつもとちょっと違いますね”って。6cmの許容範囲ギリギリでつくっているので、ちょっとした縫い方の違いが選手には大きな違いに感じられるんですよ」

「ジャンプの感覚って言葉にして伝えるのが非常に難しい」

 こうした選手独特の微細な感覚が理解できるのは、小田がかつてジャンプ選手だったからだ。1992年にミズノに入社した彼は1年半ほど選手として活動した後、高校の後輩でもある宮平秀治のコーチになった。1999年の世界選手権で銀2個、銅1個を獲得するなど、トップ選手として活躍した宮平と一緒に3年ほどヨーロッパを遠征して回っていたので、葛西や岡部のことはよく知っている。若手も少年時代から見てきた選手ばかりなので、コミュニケーションは取りやすい。

「ジャンプの感覚って言葉にして伝えるのが非常に難しいので、ぼくは選手の感覚の通訳だと思っているんです。選手に要望されたことを自分の中で整理して工場にわかりやすく伝えるよう心がけていますし、うまく伝わらないときは自分でミシンをかけることもあります。翻訳作業をどれだけスピーディーに行って、タイムラグなくスーツを供給できるかがぼくの大事な使命なんですよ」

【次ページ】 日本のトップ選手たちがこぞって日本製のスーツに変えた。

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