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絶好調、多村仁志。
改名で今年こそ大丈夫? 

text by

田口元義

田口元義Genki Taguchi

PROFILE

photograph byNIKKAN SPORTS

posted2009/06/17 13:10

絶好調、多村仁志。改名で今年こそ大丈夫?<Number Web> photograph by NIKKAN SPORTS

 多村仁志。「たむら・ひとし」と読む。

 この名前となった5月22日以降、すこぶる調子がいい。同日の広島戦で2安打をマークすると、一時は交流戦首位打者になるなど好調をキープ。チームの交流戦連覇の立役者といっていいだろう。

 改名の理由を「気分転換」と説明したが、これが多村にとって今のところ大きな分岐点となっていることは確かだ。

改名効果は実際にある。山本浩二、イチローなど過去にも良例が。

 過去に登録名を変更後、成功を収めた選手は意外に多い。代表的なのはやはりイチローだろう。94年に変更すると、シーズン200安打の記録を達成。そのほかでは、“ミスター赤ヘル”山本浩二が75年に「浩司」から登録名を変更し、同年、首位打者となり、石井琢朗は投手時代の本名「忠徳」に別れを告げ、野手「石井琢朗」となった92年以降、横浜の主軸となった。井口資仁は01年に本名の「忠仁」から改名すると、初のタイトルとなる盗塁王を獲得し、ベストナイン、ゴールデングラブ賞にも輝いた。

 彼らのように、現時点での多村も「改名効果」は如実に表れているが、その一方で、ファンは次第に怖くなってくる。

「またやるんじゃないか」と。

 今や不名誉な代名詞でもある怪我のことだ。

ネットに響き渡る「また怪我をしたのか、多村」。

 多村が故障をすると、インターネットの掲示板には揶揄から悲痛の叫びまで、様々なコメントが寄せられる。

 好調なときほど必ずといっていいほど怪我をする。それがこれまでの多村だ。

 40本塁打を記録した翌年の05年、打率トップの成績だったが、自動車事故による怪我などで戦線離脱。第1回WBCで活躍を遂げた06年には左肘、腰などを故障し出場はわずか39試合。ソフトバンク1年目の07年は132試合に出たものの、08年は4月に右足を骨折し、シーズンの大半を棒に振った。同年オフにボディビル全米王者の指導のもと肉体改造に踏み切るも、打率3割と好調を維持していた今年のオープン戦で帰塁の際に右肩を負傷。この現実を見れば、インターネット上で話題となるのも仕方がないが……。

 無論、彼自身、周りが自分をどのように思っているのかを痛切に感じている。05年、二軍で調整をしていた時期、苦笑しながらこのようなことを言っていた。

「ずっと『怪我ばかりしている』と言われているのは分かるし、自分だって体質を変えたいんです。だから、トレーニングで補える部分はもちろんだけど、それ以外にも気を遣わないといけないと思いました」

体質改善に改名……とにかくシーズンを無事に過ごして欲しい!

 これまで、体質改善のためスポーツサポート器具メーカーと契約し、高酸素カプセルをキャンプ地まで持ち込み、針治療も頻繁に行うなど、どの選手よりも自分の身体と綿密に会話をしてきた。それでも怪我は、血を好む吸血鬼のようにまとわりつき、多村を落胆させ続けてきた。

 だから、というわけではないが、気分転換で変えた登録名は彼にとって飛躍のきっかけになってほしい。姓名判断による画数がどうのこうのという講釈を述べるつもりはないが、改名によって怪我という呪縛から解き放たれたのであれば、結果はおのずとついてくるはずだ。

 6月16日の中日戦では理由を明かさないまま当日欠場した多村。「いろいろあるし、言いたくない」とのコメントが出ている。

 まだ油断は禁物だ。

山本浩二
多村仁志
井口資仁
石井琢朗
福岡ソフトバンクホークス

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