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栗原健太 「山形、広島、突然アメリカ」/特集:WBC後の選手たちを追う!
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKoui Yaginuma
posted2009/06/27 10:00
負傷で帰国の途に就いた村田の代わりに緊急招集された広島の4番打者。準決勝、決勝と打席に立ったものの、結果を残せないまま幕を閉じたWBCで、彼は本当に侍になれたのか。
成田空港にかけつけたあの日を境に喧騒の中へと放り込まれた男の格闘を描く。
その日の仙台は、午後から小雨がぐずぐずと降り続いていた。
三塁側上方のスタンドから見やる視線の先には、今まさに打席に入ろうとしている広島の主砲、栗原健太がいた。
「いいときは、構えたときにバットがこう、すっと立ってる」
栗原の2つ違いの弟、泰志は、気温が低かったせいもあり、ポンチョの袖の中に両腕をしまい込んでいた。その状態で、胸の前あたりでもぞもぞと手を動かしながら説明する。
「でも、今は寝ている。それと、タイミングを取るときにバットをこうやって動かしてますよね。バットが立ってるときは、もっと、ぴたっと静止してるんですよ」
バスケットボールをやっていたという泰志の身長は190cmと、兄より7cmも高い。靴のサイズは、なんと32cm。声は、母の順子が「電話だと、どっちがどっちかわからない!」と悲鳴を上げるように、兄とそっくりのバリトンヴォイスだ。
5月31日。楽天の本拠地、クリネックススタジアム。
開幕からほぼ2カ月が過ぎ、交流戦に入ってからも、栗原は不振にあえいでいた。試合前の打率は、2割5分7厘。もともとスロースターターの傾向はあるものの、今年は時間がかかりすぎていた。
「負けたら、帰ってこられないっけ」。母もWBCで戦っていた。
栗原の生家は、将棋の駒の生産で有名な山形県天童市にある。仙台までは、車で1時間ほどの距離だ。そのため、この日は、泰志ら家族をはじめ、近隣の人がたくさん応援にかけつけていた。
「負けたら、帰ってこられないっけ。イチローさんに感謝だずー。さすがだって……」
持参したWBC特集のバックナンバーを無言でしばらく繰り、母の順子は誰に言うとでもなくそうつぶやいた。ページをめくるたびに記憶が遡行し、その記憶はやがてWBCの決勝戦にたどり着いたようだった。
バレーボールをやっていたという順子も、泰志と同じように、一見してやはり栗原の家族なのだと実感できる。
「昔は172あったんですけど、今はちょっと縮んで169ぐらいですかね」
そして、グローブのようだと言われる大きな手。
「私がつくるおにぎり、大きいからー」
楽天戦の2日前、栗原の実家である焼き肉店「マルタイ」で順子に話を聞いた。
ちょうど昼の営業時間が終わる頃を見計らって訪ねたのだが、駐車場は車であふれ、まだ客がやってきていた。
「WBCが大きかったー。あれからですよ。東京、埼玉、千葉とかからも来ますもん。カープファン、多い! ゴールデンウィークなんて、広島から何組来たかなあ。車で。高速が1000円で乗り放題だったでしょう。17時間ぐらいかかったって。今日も来ますよ。島根と、広島と、愛媛かな。楽天戦を観に来たんですけど、こっちにも寄りたいって」
メニューの中には「健太つけめん」(700円)など、ファンが喜びそうな一品もある。ちなみに、同メニューは、広島と山形のコラボレーションだ。
「タレは広島から送ってもらってるんです。麺は山形。こっちの麺、太麺ですけど、すごく美味しいんです」