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栗原健太 「山形、広島、突然アメリカ」/特集:WBC後の選手たちを追う!
text by
中村計Kei Nakamura
photograph byKoui Yaginuma
posted2009/06/27 10:00
誰もが予想しなかった「栗原」の名を原監督は告げた。
今や、プロ野球ファンで栗原の名前を知らない人はいない。おそらく一般の人でも、名前までは記憶していなくとも、あの日のことを話せば思い出すに違いない。ああ、いたいた、と。あの人ね、と。
3月20日(アメリカ時間19日)のことだった。サンディエゴのぺトコパークで開催されていたWBCの第2ラウンド、すでに決勝ラウンド出場を決めていた日本と韓国の間で、1位と2位を決める決定戦が行なわれた日。日本が6-2で勝利を収めたのだが、この日を境に、栗原の周囲はにわかに騒がしくなり始めた。
その端緒となるアクシデントは4回表に起きた。
先頭打者の6番・村田修一は、右中間に落ちるヒットを放ったあと、一塁ベースの直前で、顔を大きくしかめ、同時に右太ももの裏に手をやった。ハムストリング(ももの裏の筋肉)の肉離れだった。トレーナーと一塁コーチの肩を借り、村田はそのままベンチに下がった。
痛がり方を見る限り、3日後に始まる決勝ラウンドの出場はほぼ絶望的に思われた。ただ、残りは最大でも2試合だ。代替選手を呼ばずとも、戦えないことはない。しかし、結論は試合中に、もっと厳密に言えば、村田が怪我をした数分後には出ていた。
試合後の記者会見で村田の状態について質問されると、日本代表の指揮官、原辰徳は「重傷です」とまずは結論を言い、続けた。
「プレーができる状態ではないので、NPB(日本野球機構)の方には、栗原選手を是非、呼んでくれと」
下を向いていた記者が一斉に顔を上げた。
「村田とはゲーム中に話をしました。素晴らしい戦いぶりだった。ただ、我々にはまだ目標がある。だから、入れ替えをする、と。本人は、悔しそうな顔をしてすいません……と言っていました」
試合が終わってから、まだ1時間も経っていなかった。にもかかわらず、現地の報道陣の間では、栗原はもうアメリカ行きの飛行機に乗ったらしい、そんな噂まで飛び交い始めていた。
村田負傷の10分後に告げられたアメリカ行き。
3月20日、広島は午後1時半から、高松にある香川県営野球場で阪神とオープン戦を行なう予定だった。
栗原が回想する。
「高松のホテルから球場に移動するバスの中で、みんなテレビでWBCの中継を観てたんですよ。それで内川がホームランを打って、みんなでオーッとか喜んでいた。それから球場に着いてグラウンドに出たと思ったら、いきなりマネージャーに来いって呼ばれて。なかなか言ってくれないから、何か悪いことしたんかなって思って。それで部屋まで連れて行かれて、そこでようやく聞いたんです。いや、ビックリしましたよ。本当に」
それが日本時間で、午前11時45分ごろのことだった。村田がベンチに退いてから、まだ10分ほどしか経っていない。そしてその約1時間後、日本と韓国の試合が終わる頃には、オープン戦出場を急遽キャンセルした栗原は、代表チームのユニフォームやパスポートがある広島の自宅に戻るためにタクシーに乗り込んでいた。
会見後、現地の記者らが噂をしていた「アメリカ行きの飛行機に乗ったらしい」という話は、そのための準備にすでに入っていたという意味においては、当たらずといえども遠からずだったのだ。