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<ノルディック複合、復権へ> 小林範仁 「笑顔の新エース」 ~特集:バンクーバーに挑む~ 

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折山淑美

折山淑美Toshimi Oriyama

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photograph byKoomi Kim

posted2009/12/12 08:00

<ノルディック複合、復権へ> 小林範仁 「笑顔の新エース」 ~特集:バンクーバーに挑む~<Number Web> photograph by Koomi Kim

甘えを捨て、練習に集中。そしてトリノ五輪へ。

 そんな気持ちに変化が生まれたのは、卒業も近づいた'05年1月のユニバーシアードだった。現地へは行ったが出場できず、他の選手のジャンプを見ているうちに「もっとこうすればいいのに」とか「そんなことやってもうまくいかないのに」などと考えるようになっていた。

「あれで初めて自分のジャンプを客観的に見られるようになったんですね。それと卒業後は競技に集中できる環境に変わったのが大きかった。札幌に住んで、ジャンプチームと一緒に練習をやるようになったんです。うまい人のなかで飛ぶと、余計に自分のジャンプの雑さがわかる。そうすると自然に『もっといいジャンプをしよう』という向上心が生まれてくる。ある程度のジャンプができるようになって気持ちにも余裕が出てきたんです」

 会社からは「トリノ五輪に出場できなかったら、その後の面倒は見ない」とクギを刺されていた。尻に火がついたような状況だったが、調子が上向きになると、高校時代の全日本合宿で荻原健司を相手に「俺のほうが走るのは速い」と躊躇なく抜いていった強気の虫が騒ぎだした。シーズンに入ると12月末からW杯へ昇格し、トリノの代表に選ばれた。さらに1月下旬には、W杯ハラコフ大会のスプリントで自己最高の4位入賞まで果たした。

「あの4位で気持ちはすごく変わりましたね。出場しているメンバーは昔と大きくは変わっていないのに、ジャンプがうまくいけば走りでここまで上げられるんだって」

小林の意識改革が、チーム全体に良い変化をもたらした。

 トリノ五輪の翌シーズンは、練習ではいいジャンプができても、試合ではなかなかそれを出せないことに苦しんだ。しかし、'07-'08シーズンは4位を最高に19試合中15回も20位以内に入り、総合でも13位と日本チームのエースへと成長した。

「ジャンプで10m負けても、走りで逆転できる。そういう気持ちでジャンプに臨めば、普通にK点まで飛べるということに気づいたんですよ(笑)。昨シーズンは出だしでちょっと手間取ったけど、あくまで照準は世界選手権のメダルでした。チームのなかにそう思っている選手がいると他の選手も同じ方向を向くものなんですね。一緒に団体で金メダルを獲った湊や加藤大平、渡部暁斗も、前半戦はまったくダメで世界選手権だけ良かったですから。面白いものですよね」

 小林が力を伸ばしてから、他の選手の意識も徐々に変わり始めた。去年までは練習で「小林さんを抜いてはいけない」という意識があるのを感じたと小林は言うが、今年は「みんなどんどん抜いていきますよ」という雰囲気になっている。チームは確実にいい方向に進んでいる。

【次ページ】 “お祭り男”が調子づけば、複合団体のメダルも射程圏内だ。

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