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<ノルディック複合、復権へ> 小林範仁 「笑顔の新エース」 ~特集:バンクーバーに挑む~
text by
折山淑美Toshimi Oriyama
photograph byKoomi Kim
posted2009/12/12 08:00
先頭集団が3チームに固まり、日本のメダルがほぼ確定していたラスト700m、3番手を走っていた小林範仁は、坂を上りきった瞬間、ドイツのエデルマンとノルウェーのモーアンを抜いて先頭へ躍り出た。ふたりはともに、距離の強さでは定評のある選手だ。
「前の周回でもみんな、頂上の平坦なところでスピードを緩めていたから狙っていた。その後の下りはコース幅も狭く、ここで前へ出れば下りで抜かれることはないと思って」
'09年2月26日、チェコ・リベレツで行なわれた世界選手権ノルディック複合、団体後半の距離。前半のジャンプで首位フランスと24秒差の5位につけた日本は、後半の距離で第1走者の湊祐介が集団に追いついてトップでつなぐと、そのままメダル争いに加わった。
2位でタッチされたアンカーの小林は、序盤は自分のスキーが滑っているのを隠すかのように3番手につける。そして計算通りの仕掛けで先頭に立つと、下り坂で広げた差を最後の短い上りでも守り、トップでスタジアムに戻ってきた。
ゴールを目指す直線での激しいスパート合戦。小林はドイツのエデルマンにタイム差なしまで迫られたが、首位でゴールした。
「あのモーアンやエデルマンが相手だから最初はビビりましたよ。彼らは僕のことなんか気にもしてなかったし。とくにモーアンは後ろから追いついても、すぐに前へ出てひとりで引っ張ってましたから。彼が最後はへばってくれたりとか、いろいろな要素が重なったからうまくいったんでしょうね」
銅メダルどころか金メダル。日本チームが起こした“奇跡”。
この大会、日本チームにとっては銅メダルでも大成功と言える状況だった。それが金メダルになったのは奇跡としか言えないと小林は明るく笑う。
複合団体の金メダル獲得は、日本にとっては'95年世界選手権以来14年ぶりだった。かつては世界をリードした“複合ニッポン”の復活を宣言する勝利だったとも言える。だがその内容は、以前とはまったく異なるものだ。
荻原健司らが世界を席巻した'90年代中盤は、純ジャンプと同じようにいち早くV字ジャンプに取り組んだ日本チームが、そのアドバンテージを利したジャンプの大量リードで逃げきるのが勝利パターンだった。しかし、その後のルール改正で徐々に距離の比重が大きくなったことや、ヨーロッパ勢のジャンプ技術の向上で、日本は勝利から遠ざかり始めた。昨シーズンは、ジャンプ2本で距離15kmの個人戦とジャンプ1本で距離7.5kmのスプリントが、ジャンプ1本で距離10kmに統一され、団体もジャンプ2本から1本になった。その上、ジャンプ得点の距離へのタイム換算も、団体では60点で1分差だったものが45点で1分と、さらなる距離重視のルールになった。そうしたなかでの勝利だった。