自転車ツーキニストのTOKYOルート24BACK NUMBER
お花見シーズン直前ボタリング。
ブームの「墓マイラー」をやってみた。
text by
疋田智Satoshi Hikita
photograph bySatoshi Hikita
posted2011/02/26 08:00
最後の目的地、多磨霊園を目指せ。
さあ、急ごう。日が暮れてしまう。
墓地めぐり最後の地点は、東京都下、府中市に存在する超巨大墓地「多磨霊園」だ。
雑司ヶ谷から明治通りを南下して新宿。新宿で国道20号線、甲州街道へ右折する。
東京西部の大動脈・甲州街道は上空に首都高新宿線、甲州街道そのものが片道4車線を誇り、当然のようにクルマがバンバン走ってるんだけど、いや、自転車も増えたね。ロードバイクだって、これまたバンバン走っている。ピストも多い。こんな冬場の寒い時期なのに、東京という街には、自転車が本当に増えた。
新宿からまっすぐ高井戸。
高井戸をこえると、道幅がちょっと狭くなり、調布をこえるとまたまた狭くなる。周囲の風景、ビルの背が低くなり、なんだか「武蔵野」という風情が出てきたなと思ったあたりで、だいたい新宿から15kmというところだ。
きゃー、日が暮れてきた、と急いだのも一因ではあるが、甲州街道、速いなぁ。やはりクルマにとって速い道は、自転車にとっても速い。信号のつながりが偶然よかったのかもしれないんだけれど。
「白糸台交番前」という交差点を右手に曲がる。
曲がってしばらく行くと、おお、石材屋さんが次第に増えてくる。「霊園の近くですよ」というサインだ。線香の香りもほのかに漂ってくるが、もう日暮れで、人気は少ない。
道の突き当たりに多磨霊園がある。
岡本太郎先生永眠。墓石も「爆発だ!」。
うーむ、ここもお初である。というより今回、恥ずかしながら青山霊園以外はみな初めてだ。普通にしていれば、墓地、そんなに来るものじゃないからね。
正門前、タクシーの列は、最寄りの駅である京王線多磨霊園駅か中央線武蔵小金井駅を結ぶためだろう。いずれの駅も徒歩で行くにはかなりある。
正門から見ても、すでにして他の霊園とまったく佇まいが違っている。一言でいうと非常に広く大きい。が、それだけじゃない。なんだか「ナショナル・パーク」とか「国立○○場」みたいな風情で、奥の墓石が眼に入らないかぎり、そもそも墓地と思えない。
それもそのはず、この霊園は大正12年にできた当初から「公園+墓地」のコンセプトでできているからだ。
正門から入っていく。
都心の墓地はなんとなく「自転車は降りて、押していこうかな」という感じだったんだけど(実際にそうした)、多磨霊園の場合は、霊園内部をバンバン走れる。
いや、走らないと移動できない。広すぎて。だいいち霊園の中にバスの停留所だってあるのだ。
いやー、広いな、そして、美しいな。多磨霊園は。大正当時の公園コンセプトは、そのまま実現されてるよ。そして、そのことが生と死との垣根を下げ、なんだか死者と生者が普通に行き交えるような錯覚を与えてくれる。
そうした多磨霊園的墓石の典型というべきだろうか、ここで最も感銘を受けたのは、岡本太郎、そして、岡本一平・かの子夫妻(岡本太郎の両親)の墓だった。
写真を見ていただければ分かるけど、墓石そのものがすでに芸術で、爆発している。
こういう墓はいいな。
故人に対する尊敬や、厳粛性はあるのに、同時に墓がさっぱりと明るい。故人がどういう人だったのかを彷彿とさせる。
この広い多磨霊園で、堂々、爆発・岡本太郎。
悪くない。
そして、意外というべきか「自転車で墓めぐり」という体験も、なかなか悪くなかった、いや、悪くないどころか、楽しく、爽やかで、味わい深くも、趣深いものだった。
墓、参るべし。
やがては自らも入るところなんだし。
【多磨霊園に葬られたおもな著名人】
▼浅沼稲次郎▼有島武郎▼内村鑑三▼梅原龍三郎▼江戸川乱歩▼大岡昇平▼岡本太郎・一平・かの子▼菊池寛▼北原白秋▼倉田百三▼西園寺公望▼リヒャルト・ゾルゲ▼高橋是清▼東郷平八郎▼徳富蘇峰▼朝永振一郎▼中島敦▼新渡戸稲造▼長谷川町子▼三島由紀夫▼美濃部達吉▼向田邦子▼山本五十六▼横光利一▼吉川英治▼吉野作造▼ほか(これもほんの一部。多磨霊園、ワケが分からないくらいに著名人が多い。青山霊園以上に多すぎて数え切れない)
うふふ、なぜ谷中がないかって?
それは谷中・根津・千駄木・上野は、お花見シーズンにまとめて巡ってみようという魂胆があるからなのですね。