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オリンピックPRESSBACK NUMBER
「もう二度と柔道は見ない」あの角田夏実が認めた“天才”は、なぜ柔道から“逃げた”のか?「消えた天才」涙の告白と13年後の再起
posted2025/04/25 17:01

昨年から再び道場に戻り、子どもたちを指導する染宮さん。“逃げた過去”に向き合えたのは、戦友・角田夏実の金メダルがきっかけだった
text by

石井宏美Hiromi Ishii
photograph by
Kiichi Matsumoto
中学時代に左膝の前十字じん帯断裂の大怪我を負った染宮杏子さんは、元プロ野球選手の父の言葉を支えにリハビリに励んだ。何より励みになったのは、メキメキと力をつける同い年の角田夏実の存在だった。
染宮さんと角田は階級が異なっていたため、公式戦で対戦することがなかったが、負けず嫌いの染宮さんは角田の成長に常に刺激されてきた。
その後、二人が対戦したのは高校時代に一度だけ。3年時の関東高等学校柔道大会千葉県予選会決勝戦で、染宮さんが千葉明徳高校、角田が八千代高校の中堅として対戦した。その試合は染宮さんが角田に勝利し、千葉明徳が悲願の初制覇を果たした。
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「(当時)八千代とうちでは実力も知名度も全然違った。最後の最後に八千代と肩を並べられるところまできて、かつ、個人としても全国で表彰台を狙える実力を持っていた彼女と対戦できることになって素直にうれしかったですね。感慨深いものがありました。そして、これがもしかしたら最後の対戦になるかもしれない……そんな思いも抱きながら戦っていました」
なぜ大好きな柔道を辞めたのか
高校卒業後も柔道を続けることは既定路線だと、周囲も両親も、何より自分自身がそう考えていた。
しかし、心の中で「オリンピックで金メダルを獲る」という幼い頃から抱いていた目標が少しずつブレが生じ始めていたのも事実だった。
引き金になったのは、膝の怪我ではない。
染宮さんは高校入学後の半年間、中学時代に負った左膝の靭帯断裂のリハビリに費やしていた。柔道に必要な身体の動きの感覚を取り戻そうと必死に軌道修正していた矢先、今度は左肩を脱臼してしまう。高校2年の春の出来事だった。