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「もう二度と柔道は見ない」あの角田夏実が認めた“天才”は、なぜ柔道から“逃げた”のか?「消えた天才」涙の告白と13年後の再起 

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石井宏美

石井宏美Hiromi Ishii

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photograph byKiichi Matsumoto

posted2025/04/25 17:01

「もう二度と柔道は見ない」あの角田夏実が認めた“天才”は、なぜ柔道から“逃げた”のか?「消えた天才」涙の告白と13年後の再起<Number Web> photograph by Kiichi Matsumoto

昨年から再び道場に戻り、子どもたちを指導する染宮さん。“逃げた過去”に向き合えたのは、戦友・角田夏実の金メダルがきっかけだった

「練習していたら完全に外れてしまって……。その時は先生に(肩を)入れてもらって応急処置したんですが、自分の柔道スタイルとの相性が悪かったのか、その後も組手のときに横にスライドするたびに簡単に亜脱臼してしまって。ひどいときには一日練習していると5、6回外れることも当たり前になっていました」

 やり方を間違えると皮膚までもが剥がれそうな強力のテーピングを肩のまわりに何重にも巻き、その上からサポーターを装着。入念すぎるほど怪我の予防には気をつけた。しかしどれだけ万全に対策していても肩が外れてしまう。その度に「またか……」と落胆した。

 ポジティブであり続けることを心掛けていたが、「なぜ私ばかりが……」と後ろ向きになっていると感じることもあったという。

「怪我をした自分に負けた」

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「オリンピックで金メダルを獲るという目標も、いつの間にか“インターハイで優勝する”ことに切り替わっていました。もちろん、それも大切な目標ですが、今度はそこに執着しすぎてしまい、大会の度に痛み止めを打って臨んだり、テーピングで何とか持ちこたえようとしていました。整骨院にも毎日通っていました。ただ、先のことを考えたらそのときは休む勇気が一番必要だったのかもしれません。その決断が当時はできませんでした」

 左膝の怪我以降、「自分のようで自分ではない感覚」だった身体。微妙な動きのズレにも戸惑った。加えて左肩を痛めたことにより、自分の柔道を見失うという悪循環に陥ってしまった。

「得意の内股もかからなくなってきて迷走していましたね。それでも内股をすごく大切にしていたんですけど、練習でさえもうまくいかなくなってしまって。ただ、夜寝ると夢の中では完璧にできているんですよ。そこでパッと目覚めて、早朝だろうが真夜中だろうが、父お手製の打ち込み台のところにいって一心不乱に打ち込んでいました」

「1年間待ってるから」と猶予をくれる企業もあったが、染宮さんは高校卒業と同時に柔道を辞めるという決断を選択した。「怪我をした自分に負けたから」だと、10年以上経った今も涙ながらに当時の胸の内を明かす。

【次ページ】 「もう、この痛みを我慢しなくていいんだ」

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